●樹木崇拝 じゅもくすうはい
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樹木崇拝は,樹木に精霊が宿り崇拝されるとか,神の依代・招代として樹木をあがめる信仰をいう。日本の古代において,木々には精霊が宿るとして,木をあがめたが,その霊を木霊と呼んだことが,『今昔物語集』などにみられる。また,斎橿(いつかし)・斎柴(いつしば)・斎欅(いつけやき)・斎杉(いつすぎ)などと称されたように,主として榊・杉・楠・欅・桐などの木に対して畏敬し敬う念がみられ,この木には神が降臨するとか,木霊が宿ると考えられてきた。ただし,一般的にみてもこれらの木すべてが崇拝ないし信仰の対象となるのではなく,古樹や大樹ないしは異形の樹木であった。たとえば,異形の類でいえば,幹が折れて横に伸びた木,幹に大きな空洞があるとか,三叉に枝分かれしているとか,光壁にへばりついているような風雪などに耐えてきて,伐採することがはばかれるような何気なく神威が感じられるものである。このほか,常緑樹も信仰の対象ないし依代・招代として神の宿るものと考えられてきた。もっとも代表的な例でいえば,正月の門松がある。もちろん,門松と称しても松ではない地方もみられるが,この木には正月の神,年神が降臨するためのものであったとみなされている。神事には榊を,仏事には樒が使用されるが,ともに常緑樹であり,神の木とか仏の木と称されてきている。こうした観念のなかで,社寺の神木たるものは一般の家では植えることか,榊や樒も神仏の木であるから植えることのタブー(禁忌)も今日に伝えられていている。このほかにも,タブー(禁忌)の対象となった樹木は多く,庭木として植えることの例が広くみられる。もとはといえば,神の木ないし仏の木との念があったのであろうが,その念がうすれていくなかで,さまざまな解説がなされてきている。いくつかの例をあげてみると,椿の木を植えると首が落ちるといって武家の家では忌んだというし,枇杷の木を植えると病人がたえないとか,山椒の木を植えると一家の主婦に病気がたえないとか,ブドウや藤の房や芯がたれさがるので,家運が傾くというし,山吹きは実を結ばないから子供ができないと忌んだりする。こうしたタブー(禁忌)の対象となった木には,外来種のものがなく,多くの種類にわたっている。また,日本には霊地聖地を標示するために,樹木を植えたりする風習が広くみられる。神社の境内がうっそうと樹木におおわれているのもその例であるが,西日本に広くみられる荒神信仰においても,何の祠堂もないが,樹木をもって神の場とすることもみられる。このほか,木に宿る木霊が男子に化けて女性のもとに通ったとの伝承もみられる。京都三十三間堂の棟木由来譚では,棟木の一本は男子で梛,もう一本は女子で柳であり,これは夫婦であったという。
樹木崇拝の上で注目されるのは,柳田国男が指摘した杖木の伝説である。「杖の成長した話」「揚杖を以って泉をトすること」などの論考において,樹木が卜占の道具であったことがわかり,ことに弘法大師の泉水伝説によく現れている。
また,修験道のなかにおいても,樹木は大きな意味をもっていた。入峯行の最後として採灯(柴燈)護摩が行われるが,護摩を焚くにあたり,峯中でとった浄乳木(乳木とだけもいう)を積み重ね,黒色の大散杖をとって焚く。この乳木や乳木を焚いたあとの灰は,護符のごとくに人々に配られてもいる。
もう一つ樹木崇拝の上で注目されるのは,成木責めの習俗である。これは,小正月にあたっての予祝行事であるが,柿などの果樹をきずつけたり,打ったりして,その樹木の霊に働きかけて,豊かなみのりを願う行事である。この行事は,木に向かって「成るか成らぬか,成らねば切るぞ」といいながら鉈ですこしきずつけ,「成ります,成ります」と唱えるものである。これは,木の霊に向かっての呪術であり,木を神聖視する表れの一つであろう樹木崇拝は,実に多様な面をもっている。
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