●シュトレーゼマン
ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD1878 ドイツ帝国
1878〜1929 ドイツの政治家でワイマール共和国の首相・外相。第一次世界大戦中は,国民自由党国会議員団長として国家主義者の立場から領土拡張政策を支持した。敗戦後はドイツ人民党を創立して党主となったが,初めは共和国を支持しなかった。その後姿勢を転換して1923年,自ら首相として社会民主党・中央党との大連合内閣を組織し,フランスのルール占領に対する闘争を中止させ,インフレを収拾した。以後6年間,外相として西欧諸国とりわけフランスとの和解につとめ,賠償支払政策をとり,ドイツの国際的地位を向上させた。賠償支払方法を改善したドーズ案(1924),地域的安全保障を取り決めたロカルノ条約(1925),その結果としてのドイツの国際連盟への加入(1926)はその成果であり,それによってノーベル平和賞を受けた。しかし国内の右翼勢力は彼の和解政策を攻撃し,そのことへの対応などの心労から心臓発作で急死した。