●シュトゥルム=ウント=ドランク
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18世紀の中ごろ,啓蒙主義の理性万能・規則偏重・楽天主義そして有徳思想などに抗し,人間感情の解放と,文学における規範性よりも天才性および独創性を重んじる運動が急激におこった。もっとも,感情の優位を主張する素地はすでに敬虔主義において現れていたが,今それが革命的な青年文学者たちによって,嵐のような高まりをみせたのである。ルソーに大きな源をもつこの思想は,人間をも自然の一部と感じ,自然と同じく力と自己目的をもつものと感じた。既存の法則をすべて〈弱者の松葉杖〉とみなして,自らが新たな法の創始者となる〈健全な天才〉を称揚した。そこには個人の自己主張にもとづく混乱と無秩序,さらには破壊が予想された。同じルソーの思想が,フランスにおいては社会的・政治的な面にひろがり,やがて1789年の革命につながっていくのに対し,ドイツにおいては詩的空想力の高揚による万物の支配を唱える文学運動に大きく影を落としたことは特徴的である。シュトゥルム=ウント=ドランクの理論的基礎づけを行ったのはハーマン(1730〜88)である。彼の啓蒙思想に対する宗教,理性に対する心情の発想は,フランスの旅行から帰ったヘルダー(1744〜1803)とゲーテの南西ドイツ,シュトラースブルクにおける出合いが真の意味でのこの運動の出発であった。ヘルダーはルソー,シェークスピア,オシアンさらにはホメロスについて語り,また近代の技巧詩に対して〈真の文芸〉としての自然詩・民族詩の観念を説いた。やがてフランクフルトに帰ったゲーテは『ゲッツ』と『若きウェルテルの悩み』によって一躍シュトゥルム=ウント=ドランクの中心となった。戯曲『ゲッツ』では〈強者の権利〉が尊ばれた中世が,最も自然に即した人間にふさわしい時代として憧憬され,またこの戯曲では伝統的作劇法が意識的に蹂躙されている。また『ウェルテル』はいっさいの地上的制約を破砕しようとする多感な青年の物語である。両者とも主人公は,強烈な自己主張のあまり破滅する。この運動は南ドイツ中心であったが,その代表的作家と作品は次のとおりである。ワーグナー(1747〜79)の『嬰児殺し』(1776),レンツ(1751〜92)の『家庭教師』(1774),『兵士たち』(1776),クリンガー(1752〜1831)の『悩める女』(1775),『疾風と怒潯』(1776)−この作品名がのちにこの運動の呼称となった−,ライゼウィッツ(1752〜1806)の『ユーリウス・フォン・タレント』(1776),そしてゲーテと並んで重要なシラー(1759〜1805)の『群盗』(1781),『フィエスコの反乱』(1783),『たくらみと恋』(1784)など。これらの作品はすべて戯曲であるが,『ゲッツ』と同様に総じて古典詩学の要請する三統一の法則を否定し,ほとんどが散文劇であり,一般大衆に身近な日常語を誇張して用いた。そして最も好まれたモティーフは〈兄弟殺し〉や女性の〈嬰児殺し〉であった。生命力の一時的な爆発と情熱の赴くがままにふるまった結果として生じるこの〈兄弟殺し〉や〈嬰児殺し〉は,それが肯定されるところで善悪の判断の逆転を示し,悪をもまた自然の摂理にしたがっているとする点で,まさにシュトゥルム=ウント=ドランクの特色を表しているといえる。しかし,このようなモティーフに典型的に示されるこの運動の無秩序的な性格は,必然的にこの運動の短期間での消滅を招来することになった。それゆえ,一時期旋風を巻きおこした上記の作家たちの多くは,その創作活動期間はわずかで幕を閉じざるをえなかった。その期間は厳密には1770〜80年,広義には1760年代半ばから80年代末までとされている。このシュトゥルム=ウント=ドランクのなかに啓蒙主義の理性を今一度入れ直し,主観主義と合理主義の総合と調和へと進展できたのは,ゲーテとシラーのみであった。やがてこの両者によって古典主義が,すなわちドイツ文学の黄金時代が築かれていくのである。