●シュティフター
大洋州 オーストラリア AD1850
1850〜68 19世紀オーストリア最大の小説家といわれるシュティフターは,ボヘミア森林地帯のオーバープランに織物師の子として生まれ,郷里の風土や小市民的生活のなかで育った。長じてウィーン大学で学んだが成業にはいたらず,貴族の家庭教師をしながら風景画家を志した。三月革命は当初,彼を熱狂させたが,やがて彼は革命の暴虐と混乱に幻滅し,自然の摂理と調和した人間の静かな美的・倫理的成熟を願うようになった。こうして彼はゲーテの古典主義的ヒューマニズムに立ち戻っていくが,貴族趣味を去って庶民のなかに入り,民衆教育を通じて望ましい人間性の確立を果たそうとした。1850年以降,リンツに居住して小学校視学官の任務に服したのは,実生活におけるその観念の実践を意味している。そのころから彼は物語作品の制作に手をつけたが,彼の作品には故郷ボヘミアの素朴な自然と人間が,画家の訓練を積んだ目で精密かつ冷静に観察され描写されており,またその内容は,土着の感情を通じて普遍的な人間性を示唆しようとする教育的意図に貫かれている。彼がなかんずく主張したのは〈穏かな法則〉であって,これは偉大なもの・特異なものよりは,むしろ日常の些細なもの・平凡なものが,自然においても人間においても永遠に有効に作用し,歴史を刻んでいく基本の要素であるとするものである。シュティフターの文学がビーダーマイアの代表とされる所以であるが,同時にこれが,第二次世界大戦終了後までも,彼の文学の価値を多くのドイツ人に認めさせなかった理由でもある。作品としては短編集『習作』(1850),『石さまざま』(1853)に次いで,市民的主人公の人間形成を描いてドイツ教養小説の系譜に立つ長編『晩夏』(1857),また過去の統一的時代を再現することにより,その教養理念を民衆全体に及ぼそうとした長編『ヴィティコ』(1867)などがあるが,なかでも『晩夏』は彼の最高傑件で,いちはやくニーチェによりドイツ散文の珠玉と賞賛された。