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●朱全忠 しゅぜんちゅう

アジア 中華人民共和国 AD852 唐

 852〜912 中国の五代最初の王朝後梁の建国皇帝。在位907〜912(天祐4〜天宝5)。太祖。本名は朱温といったが,唐の皇帝僖宗から全忠の名前を与えられた。宋州トウ※注1※山県午溝里(安徽省)に生まれた。家は代々儒家を業としていたが,早くに父を失い,母に伴われて劉崇の家に寄食し,長く生業につかず武勇を自負するような生活を続けた。875年(乾符2),黄巣の乱がおこると,劉崇の家から逃亡して乱に参加した。のちに唐に寝返り,宣武軍節度使の地位を得,以後乱を鎮定した功績によって栄進をきわめ,901年(天復1)梁王に進封された。唐朝の権威を積極的に利用しながら904年(天祐1)昭宗を殺し,907年(天祐4)禅譲の形式をとって哀帝から皇帝の位を奪い,年号を開平と改め,都を開封として後梁を建国した。この間に宦官勢力や唐朝の貴族達を一掃し,没落貴族や新興の知識階級を周囲に集めて政権の強化をはかっていった。しかし,後梁の支配地域が黄河中・下流域に限られ,その力に限界もあったので河東のリゾンキョク※注2※や楚の馬殷などとの戦いに連敗。焦燥のうちに重病となり,912年(乾化2)次男の朱友珪(けい)に殺された。

〔参考文献〕堀敏一「朱金忠政権の性格」駿台史学11,1961

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