●自由連合 じゆうれんごう
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【自由連合関係にある国】自由連合とは,独立国家とほぼ同じ国家機能を有しながらも,特別な条約により,より強大な別の国家にその国の防衛や外交などの権限をゆだねている国家と,その権限をゆだねられた国家との関係の一つのあり方を意味する。現在この関係にある国家としては,オセアニアではクック諸島とニュージーランドの関係(1965年8月から),およびニウエとニュージーランドの関係(1974年10月から)をあげることができる。このほかに,ミクロネシアの太平洋諸島信託統治領のうち,アメリカのコモンウェルスとなることを選んだ北マリアナ諸島以外の地域,すなわちマーシャル諸島共和国,ミクロネシア連邦,パラオ共和国の3自治政府は,信託統治終了後アメリカの自由連合国となることが決まっている。ここではとくにミクロネシアの自由連合の問題について重点的に述べる。【ミクロネシアにおける自由連合交渉の過程】信託統治制度終了後の,ミクロネシアの新しい政治形態を決めるための,アメリカ側とミクロネシア側の交渉は,1969年10月から始まった。交渉にのぞむアメリカ側の立場は,ミクロネシアをなんらかの形でアメリカとの永続的な関係に置くことであり,ミクロネシア側は,アメリカと自由連合を結ぶかまたは独立するとの立場であった。交渉は,1973年11月まで7回にわたって行われたが,アメリカの財政援助などの問題をめぐって決裂してしまった。その後,公式・非公式の交渉が再開され,1978年4月にハワイのヒロ市で「自由連合協定のための8項目原則」が,双方により同意された。この8項目原則において,ミクロネシア側に外交権が認められたが,ミクロネシアの防衛と安全保障については,アメリカが15年間にわたり権限と責任をもつことが明確にされた。その後,引き続き交渉が進められた結果,自由連合の協定文が作成され,1980年1月に,初めてマーシャル諸島が仮調印した。同年10月31日にミクロネシア連邦が仮調印し,マーシャル諸島も2度目の仮調印をした。同年11月17日,パラオも仮調印した。正式な調印がなされたのは,パラオ(1982年8月26日)・ミクロネシア連邦(1982年10月1日)・マーシャル諸島(1983年6月25日)である。調印された自由連合協定は,パラオ(1983年2月10日)・ミクロネシア連邦(1983年6月21日)・マーシャル諸島(1983年9月7日)の順に住民投票にかけられた。その結果は,ミクロネシア連邦,マーシャル諸島は承認,パラオのみは,全体としては自由連合協定それ自体を承認したが,憲法上の必要条件を満たすことができなかったので,パラオの最高裁判所の判決により,結果的に自由連合協定は承認されなかった。そこで,パラオにおいては1984年現在,住民による承認をとりつけるための説得などが継続中である。
【自由連合協定の内容】アメリカとミクロネシア3自治政府とのあいだで締結された自由連合協定は,本協定と関連別協定とからなり,関連別協定はさらに六つの多国間協定と,八つの2国間協定とに分けられている。本協定において,アメリカと自由連合諸国との関係は,この協定にもとづくとされ,自由連合諸国は自己の憲法のもとに自治を行い,外交処理能力・国際機関への加入なども認められる。しかし,アメリカが自由連合諸国の防衛と安全保障に全面的な権限をもち責任を負うことが規定されている。また,アメリカは,自由連合諸国に対して,これらの国の経済自立達成のため一定の財政援助を行うことも定められている。
【自由連合協定具体化のための今後の手続き】自由連合協定は,ミクロネシア側の住民投票によって承認されたのち,アメリカ議会にかけられ,上下両院の合同決議により採択された。その後アメリカ大統領の署名により,アメリカ国内法および条約としての効力が発生することになる。しかし,正式な自由連合関係は,信託統治終了時から始まることになっているので,信託統治を終わらせる手続きも行われなければならない。アメリカは,このことについては,国連の信託統治理事会および安全保障理事会にはかることを表明している。なお,信託統治終了後のミクロネシア3国に対するアメリカの窓口は,内務省から国務省に代わることになる。