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●14カ条 じゅうよんかじょう

北アメリカ アメリカ合衆国 AD 

 第一次世界大戦末期の1918年1月8日,アメリカ合衆国大統領ウィルソンが発表した講和原則。パリ講和会議の基本原則となった。

【ウィルソンの講和理念】第一次世界大戦の勃発にさいして,アメリカ合衆国は中立を宣言したが,大統領ウィルソンは中立国としての合衆国が講和を斡旋し,これを通じて権力政治を廃した自由主義的な新しい国際秩序を樹立することをめざした。彼は腹心のハウスをイギリス,フランス,ドイツに派遣して和平工作を行わせ(1915年1〜6月,1915年〜1916年3月),国際連盟設立を提唱し(1916年5月),直接交戦国に講和会議開催を呼びかけ(1916年12月),また1917年1月“勝利なき平和”を訴えた。合衆国の参戦(1917年4月)後も,自由主義的な講和を連合国の戦争目的たらしめることを望んだが,折しもロシア十一月(いわゆる十月)革命がおこり,ソヴィエト政権が交戦国人民に帝国主義的な現政権を打倒して平和を回復するよう訴えるとともに,ドイツと単独講和交渉に入る事態が生じた。ここにウィルソンは彼の構想する戦争目的に連合国を結集させ,とくにロシア人民にこの目的を訴えて戦争を継続させるために,1918年1月8日,国会に臨み,民族自決,無併合,無賠償の勝利なき平和国際連盟の設立を骨子とした14カ条からなる合衆国の講和条件を発表した。

【14カ条の概略】[1]公開外交による講和条約の締結,[2]海洋の自由,[3]経済障壁の除去と平等な通商条件の確立,[4]国内治安の維持に足る最小限度までの軍備削滅,[5]植民地要求の公正な解決,[6]ロシア領内からの外国軍撤退とロシア問題の公正な扱い,[7]ベルギーからの外国軍撤退と同国の回復,[8]フランスからの外国軍撤退とアルザス,ロレーヌのフランスヘの返還,[9]イタリア国境線の再調整,[10]オーストリア-ハンガリー内諸民族の自治的発展,[11]バルカン諸国の領土・国際関係の再調整,[12]オスマン=トルコ内非トルコ系諸民族の自治的発展とダーダネルス海峡の開放,[13]ポーランド国家の復活とその海への通路の保障,[14]大国,小国に等しく政治的独立と領土保全を相互に保障するための全面的な国家の連合(国際連盟)の結成。

【14カ条の補足と強制】1918年2月,ウィルソンはさらに,講和交渉は国家利害の調整でなく,関係する人民の利益にもとづいてなされるべきだと主張し,7月にも,世界平和を乱す“あらゆる専断的権力の破壊”ないし“最小限その実質的無力化”を主張し,これらは「補足5カ条」に要約されて,合衆国の講和条件に追加された。ドイツ政府は1918年10月,14ヵ条にもとづく講和を合衆国に申し出たが,ウィルソンは補足5ヵ条にもとづき,“ドイツ人民の真の代表”以外とは交渉しない,としてドイツの体制変革を迫った。実質的権力を握っていた軍部は退陣し,ドイツは改めて和を乞うた。他方,ウィルソンは連合国に対しても,ドイツとの単独講和もありうるとする脅しをかけて,14ヵ条の受諾を迫った。連合国は1918年11月4日,公海の自由に関するイギリスの全面的留保と,ドイツが連合国民間人に与えた損害の賠償という2点を条件として,14ヵ条を承認した。ここに14ヵ条は1919年1月からのパリ講和会議の基本原則となった。しかし,大戦とロシア革命に発した世界各地での混乱と革命的気運を背景に,パリ講和会議では世界秩序の再建が急務となり,そのなかでウィルソンは列国の国家的利害との妥協を余儀なくされ,14ヵ条の原則は不十分にしか実現をみなかった。