●周文 しゅうぶん
アジア 日本 AD
生没年不明。室町中期に出て宋元風水墨画を能くした画僧。号は越渓,天章。ただし伝記は未詳。「文都管」と呼称されたことが語るように,彼は京都相国寺にあって都管(禅寺で事務面を統轄する役職,都司・都聞)の役位にあり,世俗的に経営の才にも長じていた。しかし彼の本領は,同じく相国寺派の画僧であった如拙に学んだ水墨画にあり,室町幕府の御用絵師としてその俸禄をうけ,ことに将軍足利義教の寵愛を得た。なお『李朝実録』によると,1423年(応永30)朝鮮にわたって,画家として名声を博したことが知られる。ただし御用絵師としての制約から,彼は作品に署名することがなく,彼の作品と断定できるものはなく,わずかに東京国立博物館蔵の『竹斎読書図』などが代表作とされているにすぎない。多才多能な周文はまた木彫の技法にも長じ,『蔭涼軒日録』その他によると,京都東山の雲居寺の本尊,高さ4丈(12.1m)の阿弥陀如来座像と金剛力士像とを造顕していることが知られる。幕府の御用絵師として当代画壇の主流を形成し,日本水墨画興隆の基礎を確立したこと,そこに彼の歴史的な存在意義が認められる。