●自由フランス じゆうフランス
ヨーロッパ フランス共和国 AD1940
1940年6月,ド=ゴール将軍(当時大佐)がナチス=ドイツに対するフランスの降伏・休戦に反対し,祖国の主権と自由の回復をめざし,ロンドンを拠点に開始した運動。ときのチャーチル英首相のはからいで,6月18日,ついで22日,BBC放送を通じてすべてのフランス人に対してレジスタンスの呼びかけと,自由フランスという亡命政権の樹立宣言を行った。イギリスの財政援助にも支えられ,抗戦派将兵を糾合しつつ,赤道アフリカなどに固有の領土的基盤を確保する。アメリカの一貫したド=ゴール無視にもかかわらず,1941年9月の「自由フランス国民委員会」という事実上の政府の結成,ド=ゴールの意を受けたムーランによる国内レジスタンス諸組織の統合(1943年5月の〈全国抵抗評議会〉結成),さらにこの1943年5月,ド=ゴール自らアルジェに赴いての「国民解放フランス委員会」委員長就任(アメリカの支持を受けたジロー将軍も同じく委員長となるが,ド=ゴールに追い落とされる)と,ド=ゴールは内外に対する権威を確立していった。祖国の栄光の回復という全国民的課題を追求するド=ゴールの孤高の精神と断固たる決意,彼の資金・武器供給能力,が背景に存在していた。「自由フランス」そのものは,1943年7月以後自由フランス軍への募兵を停止したが,これは発展的解消であり,1944年6月,「国民解放フランス委員会」を改称した「フランス共和国臨時政府」に共産党系のレジスタンスと並ぶ勢力として合流する。