●自由党(イギリス) じゆうとう
ヨーロッパ 英国 AD
イギリスの政党。イギリスのピューリタン革命ののち出現した,当時としては進歩派のウィッグ党の後身。同党は本来,ロック流の制限君主論の立場をとるもので,18世紀に新登場の産業資本家層が加入し,進歩性があらわれている。同党をバックにした1832年の第1回選挙法改正後の議会は,古い絶対主義的規制を次々に解除していった。この勢力に対しリベラルの名がつけられた。1840年代,穀物法廃止問題では,トーリー党内急進派のピール派も賛成し,トーリー党分裂を招いた。これをもって自由主義は,完全に定着した。19世紀後半期は過半の期間の政権を担当した。第2回選挙法改正,公立学校の義務教育制,労働組合の合法化,秘密投票制,第3回選挙法改正など多くの社会立法に成果をあげている。帝国主義の潮流に対し,小イギリス主義的立場であり,外交面ではやや弱体であった。第一次世界大戦直前にも約10年間の政権を担当。労働党の支援により,労働組合の法的地位の向上,労働条件の改善,養老年金,国民保険法など多くの社会立法に成果を得たほか,1909年ロイド=ジョージの“人民予算”(累進所得税・相続税・自然騰貴による地価上昇分への課税,“富者の負担による国富の再配分と社会改革実現”)問題における,上院の反世論的行動抑制のための上院改革(1911)なども実行した。19世紀末期,労働者が独自の政治活動を行うにいたり,ことに1906年労働党誕生以後,自由党の存在価値は急速に衰えていき,1922年の総選挙では第3党に転落,以来少数党の悲哀をかこっている。