●従士制度 じゅうしせいど
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社中世初期に,自由人のあいだで,一方が主君となり他方が従士となって,主君は保護を与えることを,従士は奉仕を提供することを相互に誓約しあってとり結んだ,自由な人格的結合関係をいう。中世に行われていた封建制度は,上に述べた関係が,主君から封(知行)などの生活手段が従士に恩貸されること(恩貸制,知行制)によっていっそう強められて成立するものであった。その意味で従士制度は封建制度の萠芽的先行形態であったといえる。【起源】従士制度の先駆はローマのパトロキニウム(保護制度)や古ゲルマンのゲフォルグシャフト(扈従制度)にみられるが,タキトゥスの『ゲルマニア』によれば,主君と従士とは,相互の誠実誓約にもとづく自由な人格的結合関係にあり,従士は主君と起居をともにして,主君の家共同体の一員となっていた。そして従士は主君のために生命を賭して戦い,主君の許において上席を占めるようになることをめざして競いあい,その功労によって,主君から軍馬や武具などが与えられることを無上の名誉としており,また主君は,優れた従士を身辺に多く擁することを栄誉としていたといわれる。
【理念の変遷】元来,従士制度は,主君と従士とのあいだで保護と奉仕とをたがいに誓い合った私的な人格的結合関係にすぎなかったが,部族国家時代からメロヴィング朝時代にかけてみられた王の従士アントゥルスティオーネスや王侯貴族の自由な戦士レウデースとして発展してゆき,王侯貴族から封や奴隷などを恩貸されるようになる。そして,従士が誓約した主君への奉仕は,人よりも土地(封や知行)にかかるものであるという理念が発展し,従士制よりも,封や知行に重点の置かれる知行制の方向に発展してゆく。したがって封建制は知行制(レーエン制)であるとする所論も行われている。
【誓約】ところで自由人がある主君の従士として受け入れられるには,主君に忠誠を誓う儀式が必要とされていた。従士となる自由人は,主君の前にひざまずいて,組み合わせた両手を主君の両手でつつまれ,それによって従士は自分自身を主君に托身し,主君への忠誠な奉仕を誓約する儀式で,その後主君は従士に封を与えた。初めコンメンダティオ(托身)といわれたが,のちにはオマギウム(忠誠誓約)といわれるようになった。儀式によって,従士は忠誠な奉仕を誓い,そのために主君から封(知行)を受けることとなる。その場合,従士が別の主君へ自分自身と土地を移転しうる場合と,別の主君へ自分自身は移しうるが,土地は手放さねばならぬ場合とがあった。
【関係の複雑化】それと関連して,とくにフランスとその影響下にあったイングランドには,多くの封(知行)を得たいという従士の願望と,多くの従士をかかえたいという主君の意向のもとに,9世紀末ごろから,従士が複数の主君に忠誠誓約して,複数の主君から封を受ける風潮も流行した。その場合従士は,それぞれの主君から受けた封(知行)について,誓約した奉仕を忠実に履行すればよかった。しかしその場合は,二人の主君が対立抗争することもありうるので,従士はいずれか一方の主君をリージ=ロード(主要な主君)と定めて,そのリージ=ロードに優先オマージュ(オマギウム)を捧げる義務があった。リージ=ロードに王がなることが多かったのは当然であるが,このリージ=ロード制はドイツでは発展しなかった。
〔参考文献〕タキトゥス,泉井久之助訳『ゲルマーニア』1980,岩波書店
ガーンスホーフ,森岡敬一郎訳『封建制度』1971,慶応通信