●13植民地 じゅうさんしょくみんち
ヨーロッパ 英国 AD
17〜18世紀に北アメリカに成立したイギリス植民地。1776年独立してアメリカ合衆国を形成した。【最初の植民地】ロンドン=ヴァージニア会社がジェームズ1世の特許状を得,1607年ジェームズ河口に植民を開始し,ヴァージニア植民地が発足した。当初は病と飢餓に苦しみ,絶滅の危機に瀕したが,タバコ栽培の成功(1612)・入植者への土地配分(人頭権制度,1618)・代議制議会の開設(1619)などによって植民地建設は軌道に乗った。1624年王領植民地となった。
【ニューイングランド植民地】1620年イギリスの分離派ピューリタン(ピルグリムズ)がプリマスに自治的な植民地をつくったが,ニューイングランド植民地の基礎はマサテューセッツ湾会社によって築かれた。この会社は1629年チャールズ1世から植民の特許状を得たが,ジョン=ウィンスロップら熱烈な会衆派ピューリタンに率いられて,会社ぐるみ移住し,マサテューセッツ植民地を建設した。続々渡来したピューリタンが自治的な村落(タウン)をつくり,同会社の統治機構は総会議(議会)を中心とした植民地政府に発達した。参政権は教会員である男子自由民に限定され,政教一致の政治が行われた。マサテューセッツからは二つの植民地が派生した。政教分離を唱えて追放されたロジャー=ウィリアムズは1635年プロヴィデンスを建設し,アン=ハッチンソンなど宗教的小数派が築いた周辺タウンと合体し,1644年特許状を得てロードアイランド植民地を建設した。良心の自由や政教分離を定めた政体が定められた。マサテューセッツの有力な聖職者トマス=フーカーも,信徒を率いてコネティカット渓谷に入植して独自の政府を樹立し,1639年アメリカ初の成文憲法,コネティカット基本法を制定した。1662年に特許状が与えられ,コネティカット植民地が成立した。ジョン=メーソンらがイギリスから入植した北方の地域には,マサテューセッツ政府が支配権を主張していたが,1679年王領植民地として分離し,ニューハンプシャー植民地が成立した。
【領主植民地】ボルティモア卿ジョージ=カルヴァートは,チャールズ1世からヴァージニアの北の地域を領土として与えられ(1632),カトリック信徒の避難地の建設を志した。1634年息子のセシリウス=カルヴァートが植民に着手し,メリーランド植民地が成立した。領主カルヴァートは総督を任命し,入植者に土地を分与して免役地代を徴集した。カトリックよりもプロテスタントが数多く渡来し,1635年代議制議会が開設され,宗教寛容令(1649)が発せられた。1688年王領植民地となった。1663年チャールズ2世はヴァージニアの南の地域を王政復古に功のあった8人の貴族に与え,カロライナ植民地が成立した。領主団はジョン=ロック起草の基本憲法を採択し(1669),代議制議会を認めるとともに,封建的社会の建設をめざした。カロライナは南北別々の発展をたどった。地理的条件から北部の発達は遅かったが,チャールストンを中心とした南部は黒人奴隷を使用した米作や毛皮取引によって発達した。住民の反抗によって領主権力は衰え,1729年南北別々の王領植民地となった。1624年オランダ西インド会社がニューネザランド植民地の建設に着手した。マンハッタン島のニューアムステルダムには各地から多様な人々が集まり,北部には大農場も建設されたが,1642年からのインディアンとの戦争で疲弊し,イギリス−オランダ戦争中にイギリスに占領され(1664),ヨーク公の領地となって,ニューヨークと改名された。ヨーク公の国王就任(1685,ジェームズ2世)とともに王領となり,大地主・大商人による政治支配が進んだ。ヨーク公はニュージャージーの地を二人のカロライナ領主に与え(1664),のち西ジャージーはクェーカーの一団に売却された。東西ジャージーは1702年併合され,王領植民地となった。特色ある植民地ペンシルヴァニアは,提督の息子ウィリアム=ペンが1681年にチャールズ2世から与えられた領土に成立した。熱心なクェーカーのペンは,良心・信仰の自由と友愛にもとづく理想社会の建設をめざし,1682年自ら渡来してフィラデルフィアを建設した。彼はインディアンと友好関係を保ち,寛大な土地分配を行い,ヨーロッパ各地で移民を勧誘したため,植民地は急速に発展した。しかしペン家の領主権は衰え,1701年には一院制議会が実権を握った。1638年からオランダ人やスウェーデン人が入植したデラウェア湾沿岸は,イギリス−オランダ戦争中にヨーク公の領地となったが,彼はこれを1682年ペンに与え,ペンシルヴァニアの一部となった。しかし住民はペンの支配に服さず,1701年の特許状で独自の政府の樹立を許された。
【最後の植民地】ジョージアは,フロリダのスペイン勢力に対する防壁として,1732年,20年期限の委託植民地として成立した。国王から委託を受けた博愛家のジェームズ=オーグルソープらは,負債によって投獄されていた貧民を移住させようとし,軍事的・博愛的目的から奴隷制・酒・自治政府・大土地所有を禁じたが,委託期間終了後これらの制限は廃され,奴隷制の大農場が南北戦争後まで増加発達した。