●宗教的人格 しゅうきょうてきじんかく
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宗教的人格における人格の定義はさまざまであり,オルポートは〈人格は個体内において,その人の特徴的な行動と思考を決定する精神身体的体系のダイナミックな組織体〉と定義し,キャッテルは,人格は有機体と環境とのあいだのすべての行動に関連し,かつそこから導きだされ,その記述に使用される特性をもまた有機体と環境との関係からとらえ,生物学的要因とともに社会的要因を重視した。またアイゼンクは,人格を遺伝と環境により規制された有機体の行動パターンの総計とするが,習慣・特性・タイプのレベルに階層的構造をなすとする。以上の人格理論のほかに,フロイト・ユング・アドラー・フロム・ホーネイなど精神分析的心理学からの人格理論があり,また文化とパーソナリティに関連して,社会学や文化人類学の領域からもとりあげられている。カーディナーは,文化の特殊性から規定された基本的パーソナリティという操作概念を明らかにしている。またベネディクト・ミード・リントン・レヴィ=ストロースらも文化と人格の関係を明らかにした。このように人格は,単なる人間という静態的概念をこえて,生理・心理・社会・文化的な動的な構造をもつので,宗教的人格も個人心理的面のみならず,集団的・文化的社会的面からもとらえなければならない。宗教的人格の形式は,個人が属する集団の宗教的制度や慣習を,自らの人格構成要素として内面化することであり,この制度や慣習を共有する集団の成員を集約することから集団的パーソナリティとしての宗教的人格を考えることができる。
シュプランガーは,六つの基本的な生活形式をあげ,そのいずれに関心を示すかということで,経済的人間・理論的人間・審美的人間・宗教的人間・権力的人間・社会的人間の対応する六つのタイプに分類した。この宗教的人間とは,つねに最高絶対の価値を志向して努力する人間であり,宗教的人間がほかの諸価値に対していかなる態度をとるかといえば,内在的神秘主義者の場合は,すべての積極的価値を神の恩寵とみ,これの実現を通して自己を最高絶対の価値に高めようとし,超越的神秘主義者においては,ほかの価値を否定し,内的観照や修養によって最高価値を把握しようとする。岸本英夫はフラワーの環境不適応という視点からの宗教観に,パーソナリティ・フラストレーション・ゲシュタルトなどの各理論を導入して補整し,宗教的人格の心理構造を明らかにした。そこにおける宗教的人格は,主として危機における再適応としての宗教的構えを体制化している。
他方,宗教的人格における自己実現という方向が考えられ,フロムは権威主義的宗教に対して人間主義的宗教を区別し,後者における宗教的人格は,権威に隷属することなく自由で生産的であり,自己実現的であるという。この傾向は人間主義心理学を唱える人々の宗教観に共通し,オルポートは,人格を行為の源泉とし,宗教的人格は〈生成のおのおのの段階で,自己自身を意味実現的に,存在の全体性に結びつけうるような前進的志向をする〉という。またマスロウは,至高体験の体験者に宗教的至福や歓喜が存在し,このような経験はだれにも生じうるとし,病的人格者ではなく,満ちたりた人間の究明こそ重要であるとする。
宗教的人格の研究のみならず多方面へ後々まで多大な影響を与えたのがジェイムズである。彼は『宗教的経験の諸相』のなかで,宗教的人間を現世肯定的な“一度生まれ型”と,来世志向の“二度生まれ型”に分類し,前者は“健全な心の人”であり,楽天的に自力で問題解決に努力するのに対して,後者は“病める魂の人”であり,人生の失敗・挫折・罪悪などの根源を自らの内に求め,その救いは他力的に危機的にもとめられるとした。
宗教的人格の研究方法は,主体的方法・客体的方法・投射的方法の三つに分けられる。主体的方法はさらに,日記・書簡・自叙伝・手記による研究と質問紙法とに分けられる。客体的方法は行動や客観的事実の観察を中心とし,投射法は無意識を扱う。