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●ジャワ戦争 ジャワせんそう

ヨーロッパ オランダ王国 AD 

 1825〜30,オランダの植民地支配に対してディポネゴロをリーダーとしておこしたジャワ人の反乱。19世紀初頭のジャワ王侯領では,植民地支配の浸透によりしだいに権力を奪われてゆく貴族層の不満が高まっていたが,1823年のファン=デル=カペレン総督によるヨーロッパ人による農場経営禁止は彼らにさらに打撃を与え,また農民にも負担増を強いることになった。このころ王位継承争いに敗れてジョクジャカルタ王宮を出たディポネゴロは反オランダの急先鋒であり,また熱心なムスリムとして地域の宗教リーダーたちとの関係も深かったので,救世主として各層の期待を集め,1825年に蜂起すると反乱は各地に波及した。オランダは莫大な戦費をかけ,1830年ようやくディポネゴロを捕えてマカッサルに追放,反乱は終息した。この反乱は,旧マタラム貴族層の最後の抵抗と農民の負担軽減の要求が結合したものであり,この敗北によりジャワは本格的な植民地支配のもとにおかれ,1830年からジャワ各地に強制栽培制度が導入される。