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●シャープール1世 シャープールいっせい

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 ?〜272 ササン朝ペルシアの王(在位241〜272)王朝の創始者アルダシール1世の子。ローマ人はサポールと呼んだ。対外政策ではまずクシャン朝を攻め,ササン朝の軍隊はクシャン朝の冬の都プルシャプラ(現ペシャワール)を攻略,さらにバクトリア・サマルカンドにも進出した。西方においては父王の時代から継続しローマとの対戦が行われた。治世2年目シャープールはローマ皇帝ゴルディアーヌスに敗れたが,この皇帝を暗殺したアラビア出身のローマ皇帝フィリップスとのあいだに224年和平を結び,アルメニアとメソポタミアをペルシアが領有することを認めさせた。さらに15年後に再開された対ローマ戦ではシャープールは260年エデッサでローマ軍に大勝,ローマ皇帝ヴァレリアヌスを捕虜とした。ペルセポリスに近いナクシ=イ=ルスタムの岩壁には馬上のシャープールに跪くローマ皇帝が浮彫されこの戦いの勝利を記念している。彼はスシアーナ地方にグンデ=シャープールの町を建設,また今日のシュシュタル近くでカルーン河に大堰堤を築き灌漑用水を確保する工事にローマ軍捕虜を使役した。対ローマ戦ではローマと結んだパルミュラがペルシアに敵対した。しかしパルミュラ王オデナートゥス暗殺後,王妃ゼノビアは大シリア王国建設をめざしローマと対立,シャープールに援助を求めた。ペルシアが西方に進出する好機であったがシャープールは援助を与えず,ローマ皇帝アウレリアーヌスは272〜273年パルミュラを占領,破壊した。シャープールの治世にはマニが新宗教をおこし,王も一時これを保護したがゾロアスター教が国教の立場を固めるとマニ教を異端として追放した。