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●シャトーブリアン

ヨーロッパ フランス共和国 AD1768 フランス王国

 1768〜1848 フランスの文学者で政治家。サン=マロの貴族旧家の生まれ。レンヌの修道院学校で勉学後,連隊少尉に。1791年アメリカ旅行に出,五大湖を廻るが,いったん帰国後,エミグレとして再出国。翌年7月コブレンツの貴族軍に参加。負傷しイギリスに渡って『革命論』(1797)を出版。ブリュメールのクーデタ後,帰国し亡命者名薄から削除される。この間,『アタラ』を,のち『ルネ』を発表し,いずれも1802年の『キリスト教精髄』に含めて出版,自然への憧憬からロマン主義への帰依を示した。1803年,終身統領によりローマ大使書記に任命されるが,アンギャン公暗殺で辞職し,聖地を巡礼(1806〜07)。アカデミー=フランセーズに推されるがナポレオン非難演説をしたため受容されず。復古王朝とともに政治生活に戻り,貴族院議員に任ぜられ,過激王党として活躍。リシュリュー内閣でベルリンついでロンドン大使,ヴィレール内閣では外務大臣をつとめた。1823年,スペイン干渉の十字軍は彼の提唱による。七月王政に反対し1832年“国家に対する陰謀”で告発された。単なる復古主義でなく民衆的カトリック運動の先駆者とみられる。自分のことを〈栄光からいえばブルボン派,理性からは君主主義者,好みと性格からなら共和主義者である〉と称した。