●社倉 しゃそう
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江戸時代に行われた備荒貯穀制度の一つ。義倉・常平倉とあわせて「三倉」といわれる。農村では持高に応じて穀物を出しあって居村の蔵に貯え,自治的に管理した。都市でも,江戸では1791年(寛政3)七分積金による囲米を,大坂では1789年(寛政1)天満川崎に土蔵を建て,町人の出金による囲米をはかった。この社倉法は山崎闇斎の建議によって,1655年(明暦1)に会津藩で実施されたのが最も早いとされている。その後,各地で設けられるようになったが,とくに1732年(享保17)の享保の大飢饉以後に義倉とともに多く設置されている。義倉は富民の義捐による運営,社倉は村民の相互共済による運営と概念的には区別されていても,混同または混用的な運用がなされていた。貯穀はもみ・粟・麦などがふつうであり,凶作時に夫食用として放出され,共同の備荒貯蓄手段として重要な役割を演じた。廃藩置県後に廃された所が多いが,昭和まで長く存置した場合もある。