●シャー=ジャハーン
AD1628
在位1628〜58 ムガル帝国第5代皇帝。父ジャハーンギール(在位1605〜27)の統治時代に父政権に反乱をおこし,父の死にさいし皇位継承が危ういときに,妻の父アーサフ=ハーンのとりなしで,1628年皇帝の位についた。国内統治には有能であり,ムガル帝国としては政治的安定期を迎え,最盛期となった。後世,ムガル時代の傑作とされる数々の建築物がつくられた。まず,妃ムムターズ=マハルのためのタージ=マハル廟が挙げられる。さらに,彼は,これまでの首都アーグラとは別に,デリーに壮大なデリー城の建設を命じた。赤砂岩でつくられたデリー城は,ジャムナ河に面し,こんにちのオールド=デリーと呼ばれる一画にあり,1648年完成後,彼はここに移った。赤い色をした城壁にちなみラール=キフ(赤い砦)と呼ばれる。また,城内の宮殿の,ディーワーネ=アーム・ディーワーネ=ハースという二つの謁見の間は有名,後者の特別の謁見の間の壁面に〈地上に天国があるとすれば,それはここだ〉と装飾で記されている。シャー=ジャハーンは,大きな遠征としてまず,デカンのビャージャープル・ゴルコンダ2王国にむけて軍を送った。1636年,2王国ともムガルの至上権を認めて,自立を保った。また,1646〜47,中央アジアのバルーヘ遠征軍を送ったが失敗に終わった。さらに,1652年には,サファヴィー朝ペルシアにとられた,アフガニスタン南部の要衝の地カンダハールを奪回すべく遠征軍を送ったがこれも失敗に終わった。対外遠征はいずれも失敗したが,帝国の首都や皇帝のすぐまわりでは,最高度の豪華さが喜ばれ,インド産の当時世界最大のダイヤモンドがはめられ,最高の贅を尽くした,いわゆる「孔雀の玉座」がつくられたのもこの時代であった。しかし,シャー=ジャハーンの晩年は悲惨であり,1657〜58年の4王子たちの皇位継承戦争ののち,アーグラ城に幽閉され,1666年さびしく死んだ。