●車師 しゃし
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前1世紀〜後5世紀に天山山脈東部の南北麓に存在した西域の国名。古くは姑師とある。漢代には,車師前王国(車師前部)・車師後王国(車師後部)などに分かれ,インド=ヨーロッパ系に属する人々がオアシス農耕に従事していたようである。南麓にあった前王国は交河城(盆地北西ヤールホト廃跡)に都を置いてトゥルファン盆地を支配し,北麓にあった後王国は済木薩(ジムサ)付近に都した。この地域は西域諸国との主要な交通路にあたっていたため,漢が西域経営に着手すると匈奴とのあいだに激しい争いがおこり,両属を余儀なくされた。漢は高昌壁(カラ=ホージャ)に戊己校尉を置いて前王国と対立した。下って5世紀のなかごろになると河西の地より逃れてきた沮渠氏によって前王国は滅ぼされ,高昌城(高昌壁の後身)を中心とする高昌国がトゥルファン盆地を支配するようになった。他方,後王国はのちに柔然の西進に伴いその支配下に入ったようで,晋代には史上より姿を消した。