●社会保障 しゃかいほしょう
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社会保障とは,国民の最低限度の生活を保障することを目的として,20世紀に発達した社会制度である。その主要な内容は,社会保険・公的扶助・社会福祉事業および社会扶助である。20世紀なかんずく,その後半に非常な発達を示した。【社会保障の思想】社会保障という思想は,1935年米国社会保障法成立前後から発達を示してきた。1929年のウォール街の株式取引価格の大暴落に端を発する1930年代の米国の大不況を切り抜ける方策の一つとして社会保障という思想ならびに社会制度が登場してくることになる。しかし,この思想の起源はドイツ=ビスマルク時代に制定された社会保険,長い歴史をもつ英国救貧法とにある。とくに1905〜09年の王命救貧法委員会の少数派報告が社会保障思想の渕源ともいうことができよう。さらにビバリッジの英国における失業対策活動,またケインズの経済学も影響を及ぼしている。社会保障の思想がもっと完成した形で展開されるのは1942年,時の英国首相チャーチルに提出されたビバリッジ報告「社会保険および関連諸サービス」である。この内容は社会保険を中心に救貧法,医療・保険サービスおよび諸手当などを統合して,国民生活の最低限度を社会的に保障しようという思想であった。第二次世界大戦は各国国民に非常な災厄をもたらし,戦いの惨禍にみまわれた国民は非常に疲弊した。この状態から立ち直るために,各国はきそって社会保障制度を取り入れようとした。そこにはビバリッジ=レポートの第I部「前書きと要約」に表れた諸思想が大きい影響を及ぼしていた。すなわち,国家と個人の協力によってこそ社会保障は達成されること,これら両者によってナショナル=ミニマムが決められること,この方策によって人間社会の再建を阻んでいる5悪(貧困・疾病・不潔・無知・怠惰)を克服しなければならないことなどである。また,社会保障は完全雇用と国民保健サービスおよび家族手当制度のうえにその機能を果たすことができると考えられていた。ところで,第二次世界大戦中,ILOの事務局は1942年に『社会保障への途』という研究書を出版しているし,1948年の第3回国連総会で採択された世界人権宣言においても,恐怖および欠乏からの自由の享受をうたっていて,そのなかに社会保障の権利が明記されている。したがって,生存権の保障という人権思想の根底のうえに社会保障が成り立っているともいえよう。なお,社会保障は第二次世界大戦後は福祉国家の思想と強く結びついて発展した。この福祉国家の理念は種々に理解されているが,一般には混合経済の国家形態と考えられている。また,別の見方をすれば,資本主義経済の体制をとりながら,基本的人権の実現をめざす社会形態であり,とくに社会保険や社会福祉のような非営利的な公共経済を維持していく国家体制でもある。したがって福祉国家のなかで社会保障は基本的人権を実現し,国民生活を安定させるうえで重要な役割を担っている。
【社会保障の歴史】社会保障の歴史的起源を求めるには,社会保障の内容をどのように理解するかによって大きな相違がある。社会保障の内容は多くの人々の理解においては,最少の内容は社会保険と公的扶助と合体したもの,最も広くは社会保険・公的扶助・社会福祉事業・社会扶助および公衆衛生を統合したものにいたるまで数種類のものがある。ここでは,社会保険・公的扶助・社会福祉事業および社会扶助を合体したものを社会保障の内容と考えると,社会保障成立の時期は英国社会保障制度の成立した1946〜49年のころになる。この観点からすると,それ以前の社会保障のそれぞれの分野の展開は前史であり,20世紀後半は社会保障発達史になる(社会保障前史)。社会保障構成分野のなかでは,公的扶助の成立が最も早い。英国においては1601年エリザベス救貧法が制定されたが,この法律が名実ともに公的扶助の性格をおびてきたのは18世紀後半からである。すなわち,産業革命の成立とともに公的扶助の実質をおびてきたといえよう。この救貧法はいくども改正されて,1948年になってその役割が国家扶助法に引き継がれ,その使命を終えた。英国の社会保険制度よりも早く,ドイツの宰相ビスマルクのもとに社会保険が成立した。これは労働者への“飴と鞭”の政策として制定されたといわれている。すなわち,労働者への疾病給付,労働災害給付や退職年金という飴の政策と,他方では労働運動の弾圧という鞭の政策とを併行させたとして批判されている。しかし,いずれにせよ,世界最初の疾病保険法が1883年に,ついで労働災害保険法が1884年に,老齢・廃疾保険法が1889年に制定された。現在の社会保険と比べて,欠けているものは失業保険だけであった。元来,社会保険という制度はヨーロッパに古くから存在した労働者共済組合の制度を参考にしたものであった。すなわち,労働者が賃金のなかから一定の比率で拠出した金銭をプールして,吉凶慶弔のさい,その状況に応じて給付金を給付するという方法をいかし,これに事業主と政府とを加えて財源を確保し,必要に応じて給付するという制度にしたものである。かくしてはじまった社会保険制度は,1911年英国の国民保険法のなかに失業保険を成立させ,こうして社会保険の4種類がすべて出揃ったことになる。その後,国によっては,これら4種類をすべて備えているところもあるが,これらのうち,2種類のみとか,3種類のみという国々もあった。第二次世界大戦後,先進国ではほとんどの国は4種類の社会保険を設けている。ただし,保険の適用事業所の範囲とか,職員と労働者とを区別して適用するとか,種々相違する点はある。先進国のうち,いまだに医療に関する社会保険がない(ただし,老人健康保険制度はある)国に米国がある。20世紀の後半においては,医療保険の給付は改善されてきたが,全国民がすべて100%の保険給付という国はほとんどない。わが国のように被保険者本人と家族とを区別している医療保険もある。現在の4種類の社会保険のなかで最も期待を寄せられている社会保険は年金保険制度であって,その期待の内容は給付内容の充実である。また,1973年以来,慢性的に高率の失業率に悩んでいる西欧の国々においては,失業保険の財政が国家財政を圧迫している。
救貧法より新しく,社会保険よりも古く成立したのは社会事業である。この社会事業という用語は19世紀の第4四半期に現れてはいるが,その実質的内容は慈善という名称で古くからあった。すなわち,教会・教区に関する10分の1税の使途に関して古くからあった。これらは教区慈善といわれていた。産業革命が進展するにつれて,貧富の差が著しくなり,慈善が発達してきた。19世紀になると,チャルマースやオクタビア=ヒルなどによって,慈善事業のちに社会事業となる方法を発達させ,児童・母子・老人・傷病者・障害者らに対して慈善事業を,のちに社会事業を発達させた。これらの諸サービスが社会福祉といわれるようになったのは,ようやく1935年の社会保障成立の前ごろからであった。このころ社会事業から脱皮して近代的な社会福祉事業になった(社会保障発達史)。現在でいう社会保障の成立は米国にはじまるとみてよい。一,二の国で先駆的な試みはみられたが,20世紀の前半で大きい影響を与えたものは1935年米国社会保障法であった。すでに述べたように1930年代前半の大不況を克服するために一連のニュー=ディールが行われたが,その一環として社会保障制度が成立した。この制度は社会保険(米国では医療社会保険はない)と社会事業とが合体したものである。大不況時の,労働力人口の約5分の1が失業者であったといわれる状況下では,失業保険・失業救済が最も緊急の必要性をもっていた。ついで貧困救済の公的扶助が整備され,児童福祉事業,老人・寡婦援護施策などが体系的に整備され,1936年ごろになって,米国社会保障制度がととのって機能するようになった。ところが1939年よりヨーロッパで第二次世界大戦がはじまり,米国も1941年に参戦し,世界各国は社会保障制度を考えるような状況ではなかった。それでも1942年に英国では,戦後の国家的施策として社会保障制度を樹立すべく,ビバリッジを中心に『社会保険および関連諸サービス』という報告書が英国政府に提出された。1945年5月にヨーロッパで,同年8月太平洋地域で戦争は終了し,戦後の国家・社会再建のために各国は社会保障制度を考慮するようになった。1946年時の英国政府はすでに前年に成立した家族手当制度にひきつづき,国民産業災害保険・国民保険・国民保健サービスの諸制度を,1948年には国家扶助法・児童法の各制度を制定し,米国社会保障法を凌駕する社会保障制度を創設した。この制度においては,〈ゆりかごから墓場まで〉のスローガンが示すような生活保障の制度となった。すなわち,均一額の保険料拠出,適正な保険給付,均一額の最低生活費給付,適用範囲と保険事故双方における包括性,行政責任の統一などによる生活の保障であった。また北欧型社会保障の代表的なスウェーデンの例をみると,すでに1901年の労働者災害補償法や1913年の年金保険法からはじまって着々と社会保障の体制をととのえてきたが,現代的意味の社会保障を確立したのはほかの国々と同じように第二次世界大戦後であった。この国では1946年の国民保険法制定からはじまり,1962年の改正で現行制度の基礎をつくったユニークな医療保険制度が制定された。また,古くからあった年金制度が1963年に改定されて比例年金制度になった。なお,労働者災害補償制度は他国と同じように法律で規定されているが,その制度の内容は公営または民間保険との強制契約で,ユニークな制度をもっている。さらに,失業保険に関する法令はなく,労働組合が認可失業給付組合となって,失業保険業務に類することを行っている。この制度は完全雇用を前提とした社会保障制度なので,このような制度になったといわれている。
わが国における社会保障制度は,社会保険と社会事業との合体とみるならば,1951年前後であろうが,社会保険(4種類揃ったもの)と公的扶助と社会福祉事業その他の合体したものとみるならば,1960年前後であろう。ところが,社会保険は意外に早く成立している。すなわち,医療保険の中心となる健康保険は1922年に,地域保険としての国民健康保険は1938年に成立している。しかし,その他の社会保険は遅れて1931年に労働者災害扶助責任保険法が,1942年に労働者年金保険法が成立している。ただ失業保険法のみは戦前にはなく,戦後の1947年になってようやく制定された状態であった。社会保障のもう一つの柱である公的扶助および社会事業または社会福祉事業はかなり古くからあり,1874年(明治7)の恤救規則−きわめて不十分な制度であった−から始まり,1929年の救護法で制度化され,1946年,50年の生活保護法で近代的になってきた。また,社会事業の分野を総括する社会事業法は1938年に制定された。ところが第二次世界大戦によって国民生活は破壊され,困窮化した国民生活を立て直す必要に迫られた。したがって1946〜54年間に各種社会保険・公的扶助・社会福祉事業などが続々と抜本的に改正され,社会保障の体裁をととのえていった。わが国の歴史において社会保障という用語が公式に登場してくるのは1946年(昭和21)制定の日本国憲法第25条からであるが,制度実現をめざして推進役になったのは1948年設置された社会保障制度審議会であった。以後,社会保障の充実が行われ,1959年の国民年金法の制定,このころに国民者保険の実現,1963年に老人福祉法などの画期的諸制度の実現によって社会保障の内容がさらに充実したし,また懸案事項であった児童手当制度が1972年に発足して社会保障の実を具えてきた。ただ,最近,国家財政の再建・整備の名のもとに医療保険の給付や年金制度の後退が進んでいるのは遺憾である。
【社会保障制度の内容】社会保障制度はすでに述べたように,完全雇用の土台の上に,各種社会保険・公的扶助・社会福祉事業および社会扶助によって構成されている。以下4種類の内容を簡略に述べよう。[1]各種社会保険 これらは医療保険・年金保険・労働者災害補償保険および失業保険の4種類から成り立っている。(白丸イ)医療保険 この制度は傷病ないし疾病という保険事故に備えて,日常,ある一定の料率で納入する保険料をプールしたものと,ある程度の国庫補助金とを合計したものを財源として,その財源から保険事故に対して給付金を支払う制度である。わが国においては,健康保険・日雇健康保険・船員保険・国家公務員共済組合・公共企業体職員等共済組合・地方公務員等共済組合・私立学校教職員共済組合および国民健康保険の8種類に分かれて施行されている。これらのうち,国民健康保険のみは地域保険であるが,ほかはすべて職域保険である。(白丸ロ)年金保険 この社会保険には保険料徴収に,積立方式と賦課方式とがあるが,わが国では原則として積立方式を採用している。この年金保険には,わが国では,厚生年金保険・船員保険・国家公務員共済組合・地方公務員等共済組合・公共企業体職員等共済組合・私立学校教職員共済組合・農林漁業団体職員共済組合および国民年金の8種類のものがそれぞれ施行されている。わが国の年金保険制度は適用事業所の従業員かまたは満20歳以上の者が被保険者となり,原則として20年間ないしは25年間保険料を拠出して積み立て,その原資によって,満60歳または満65歳になってはじめて老齢(退職)年金の給付などの種々の給付を受給する資格を取得し,給付を受ける制度である。これらの年金のうち,国民が最も多く加入しているのは厚生年金保険と国民年金とである。(白丸ハ)労働者災害補償保険 これは労働災害という保険事故に対して給付される保険制度である。この保険制度では,保険料は使用者だけが拠出し,それに国庫負担の一部費用補助を加えて保険の財源としている。わが国ではこの保険制度に労働者災害補償保険と船員保険との2種類がある。(白丸ニ)雇用保険 ふつうは失業保険といわれる制度であるが,わが国では,1975年(昭和50)よりこの名称で呼ばれることになった。最近,各国とも多数の失業者が出て,求職のため待機している人々が多い。これらの失業者の再就職の準備として一定期間,所定の失業給付が行われる制度である。わが国では約2,600万人程度(1983年3月現在)を対象人員としてこの保険制度を実施している。雇用保険制度には,雇用保険と船員保険の2種類がある。[2]公的扶助 この制度は生活困窮者の自立助長のために生活の援助を行うものである。わが国では生活保護制度といっているが,諸外国では公的扶助とか,社会扶助とかの名称のもとに同じような援護活動を行っている。わが国の生活保護法のもとでは最低生活費およびそれ以下の生活をしている人々に対して,世帯単位・必要即応・最低生活の保障などの諸原理・原則のもとに福祉事務所が民生委員の協力を得て,7種類の扶助を行っている。すなわち,生活・住宅・教育・医療・生業・出産・葬祭の各扶助である。被保護人員が最も多いのは生活扶助で,ついで住宅,医療の各扶助人員が多い。しかし,生活扶助の次に多額の費用を要するのは医療扶助である。わが国では,最近は常時140万〜150万人の被保護実人員がいる。被保護者は社会福祉主事(ケースワーカーともいわれる)の援助・指導のもとに自立する努力をすることになる。この生活保護法を施行するにさいして生活保護基準が国家によって決められていて,その基準によって各援助世帯の最低生活費が算定されて,被保護世帯の収入を差し引いた額が扶助費として支給される。生活保護制度の費用は,国の負担8割,都道府県1割,市町村および特別区1割の比率で負担している。1985年(昭和60)度から国の負担7割,都道府県および市町村・特別区の負担3割になる予定。[3]社会福祉事業 この事業活動は,満18歳末満の児童や65歳以上の高齢者,母子世帯,身体障害や精神薄弱というように,生産年齢階層の人々でなく,心身の障害をもったり,配偶者を欠いたりして生活機能に障害をもっている人々に対して援助する社会制度である。わが国では社会福祉事業を法的に規定し,各事業の基本法ともなる社会福祉事業法が制定されている。また,児童福祉法・老人福祉法・母子福祉法・身体障害者福祉法および精神薄弱者福祉法,さらに心身の障害をもつ者に対して,心身障害者対策基本法が制定されている。なお,このほかに社会福祉事業に関係する民生委員・児童委員・隣保事業・世帯更生資金貸付制度・共同募金事業なども社会福祉事業に含まれる。また,わが国では,生活保護制度は社会福祉事業に入れられているが,一般通念では公的扶助として別の体系をもっていて,すでに説明したので,この項から除外した。ここでは,いわゆる福祉6法(生活保護法を含むので)のうち,生活保護法を除くほかの5法についてきわめて簡単に紹介しよう。まず“児童福祉法”であるが,この制度は児童を乳児・幼児・少年の3つのカテゴリーに分け,それぞれのもつ問題ごとに対策・施設を規定している。すなわち,乳児院・助産施設・母子寮・保育所・養護施設・精神薄弱児施設・自閉症児施設・精神薄弱児通園施設・盲児施設・ろうあ児施設・難聴児通園施設・虚弱児施設・肢体不自由児施設・肢体不自由児通園施設・肢体不自由児療護施設・重症心身障害児施設・情緒障害児短期治療施設・教護院・児童館・児童遊園という20の児童福祉施設と児童相談所という中心となる機関と児童委員という協力機関によって主として運営されている。次に“老人福祉法”は満60歳以上の老人に対して在宅老人と施設の老人とに分け,福祉事務所を中心としながら,老人への援護活動をする制度である。これは迫りくる高齢化社会への対策として設けられた制度である。在宅老人に対しては,老人健康保険診査の実施を,施設に頼る老人に対しては養護老人ホーム・特別養護老人ホーム・軽費老人ホームという福祉施設があり,地域の老人に対しては老人福祉センターが設けられている。“母子福祉”これは,母子世帯に対して事業開始資金ほか10種類の貸付金によって要援護者の防貧を目的とする制度である。その目的のために福祉事務所に母子相談員をおいて,日常生活の指導にあたらせている。11種類の貸付資金のなかで修学資金がもっとも効果をあげているようである。“心身障害者福祉”については身体障害者は身体の一部分のハンディキャップを克服する努力をするとともに種々の福祉施策が進んできた。障害の種類には,肢体に関するもの,聴覚・視覚・言語発声・内部障害など種々のものがあり,障害に応じて福祉サービスが提供されている。精神薄弱は程度に応じて対策が講じられている。このうち,程度の軽いものは学校教育で,程度の重いものは福祉施策で,サービスが供与されている。[4]社会扶助。このなかには児童手当・児童扶養手当・特別児童扶養手当・老齢福祉年金・母子福祉年金・障害福祉年金・準母子年金などの諸制度がある。
【社会保障とILO】世界各国はそれぞれ特色のある社会保障を実施しているが,それはそれぞれの国の成立の事情によるものと思われる。ところで,各国ともILOと密接な関係をもっている。それはILOが賃金・労働問題だけでなく,社会保険・社会保障において国際条約の締結や各国政府への勧告を行うからである。ILOは1925〜34年の10年間に労働者災害補償・疾病保険・失業保険に関する諸条約を採択した。第二次世界大戦の終わりごろである1944年に所得勧告と医療勧告を行っている。なお,この年ILOの国際会議がフィラデルフィアで行われ,社会保障の諸方針を打ち出した。このような基礎のうえに1952年6月ILO第35回総会において,社会保障の最低基準に関する条約(第102号)が採択された。さらに1962年の第46回総会において,社会政策の基本的な目的および基準に関する条約(第117号),社会保障における内国民および非内国民の均等待遇に関する条約(第118号)が採択されている。さらにまた,1967年の総会では,障害・老齢および遺族給付に関する条約(第128号),障害・老齢および遺族給付に関する勧告(第131号)が行われている。
〔参考文献〕近藤文二編『社会保障入門(新版)』1977,有斐閣双書
坂寄俊雄『社会保障』1974,岩波書店