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●社会保険 しゃかいほけん

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 初期資本主義の時代にあっては,労働者には傷病・廃疾・老齢等のさいにほかから援助の手は何も差しのべられなかった。そこで労働者たちは賃金のなかから応分の金銭を出して,共済組合を組織したことがウェッブ夫妻の『英国労働組合史』のなかに記述されている。この共済組合の一部は変質して労働組合となったが,共済組合そのものは18世紀〜20世紀初頭まで存続した。この共済組合は,労働者の賃金の一部を拠出して,それらをプールし,さらに事業主ないしは使用者の何がしかの援助を得て,これら双方を財源として,労働者の吉凶慶弔・冠婚葬祭などの折りには,規定によって一定の金銭給付をする社会的慣行が形成されていた。これは社会保険制度の原型であった。そこに着目したのが,ビスマルクを首相とするドイツ帝国政府であった。1880年代のドイツは,英仏に遅れはしたが,華々しい産業革命がすでに進展していて,多数の労働者を生み出すとともに,それら労働者の地位向上の運動として第1インターナショナルに影響を受けた労働運動が高揚してきた。さらにそれらを背景としてドイツ社会民主党が台頭してきて,古いドイツ帝国をゆるがし始めた。そこで時の政府は労働者たちを社会保険制定によって保護するとみせて,第1インターナショナル運動やドイツ社会民主党から引き離そうと計画し,一連の社会保険を制定した。すなわち,1883年の疾病保険法,1884年の業務災害保険法及び1889年の老齢・廃疾保険法であった。そこには労働者の自助活動とそれに対する事業主や国家の援助,その財源から必要に応じた保険事故に対する給付,労働者階級の生活障害の緩和,ひいては階級対立への宥和策として機能する原理をもっていた。かくして出発した社会保険のなかには労働者が負担せず,事業主だけが保険料を負担する労災保険もあって,労働者にとっては,より進んだ制度となっている。このようなドイツの社会保険に対して英国では1911年にいたって,初めて国民保険法という社会保険を制定したが,この内容は傷病保険と失業保険とであった。この制度の考え方は,長いあいだの英国救貧法の負担を軽減させ,ほかの制度の創設によって国民の福祉を増進させようという1905〜09年の王命救貧法委員会の少数派レポートの思想を継承したものと思われる。すなわち,貧困生活者の救済は救貧法で,傷病のために生活困難に陥る者に対しては傷病保険を,失業者に対しては失業保険を適用して生活の苦難を緩和しようとする思想であった。そこには長いあいだの救貧法の歴史と労働運動の歴史との結実があったとみることができよう。すなわち,19世紀のドイツ社会保険になかった失業保険がたとえ部分的にせよ,制定されたということ,やがてこれが1920年代に入って,世界中で最も充実した最初の失業保険になったという点において,ドイツ社会保険と大きく異なる点であった。すなわち,19世紀〜20世紀前半のドイツ社会では,失業は社会的原因によっておこることを認めず,したがってその対策としての失業保険の必要性を認めなかったが,英国では,長い労働運動の成果でもあり,また一方では,いくたの学者の調査・研究の結果でもあったと考えられる。20世紀後半の社会保険は,多くは社会保障の体系のなかに組み入れられ,適用事業場・適用範囲もほとんど全労働者にひろがりをみせているので,労働者階級というよりもむしろ全国民的事業という性格をおびてきた。すなわち,職域保険のほかに地域保険を創設したり,外国の例のように,全国民に社会保険を適用するなどは本来の対労働者政策という性格がうすれてきている。そこで20世紀後半の社会保険の原理を要約すると,賃金労働者ないしは国民が賃金または収入の一部を保険料として拠出し,それとほぼ同額の保険料を事業主が負担し,それに国庫補助が加わって財源を構成し,その財源から保険事故に応じて給付や事業活動を行うのを原則としている。近年,社会保険は対労働者政策という性格がうすれてきているが,本質的性格はいぜんとして同じである。また,社会保険を施行している国々の公経済に深く浸透し,重要な部分を構成している。

【社会保険の歴史】すでに述べたように世界の社会保険の歴史はドイツにおいて1883年に創設された疾病保険法に始まる。この制度においては保険料の総額を平均賃金の1.5〜2%と決め,この額を労働者3分の2,雇主3分の1の負担とした。給付内容は疾病のときに傷病13週間の治療費を給付し,賃金をもらえない期間は傷病手当金を支給することとされていた。この制度の運営は従来あった労働者共済組合を疾病金庫と呼び,これにあたらせた。その後1884年に業務災害保険が制定され,工業および鉱山労働者に適用されることになった。さらにこの二つの社会保険はその適用範囲をひろげていった。1889年になると,老齢・廃疾保険法が制定され,老齢年金や廃疾年金が支給されることになった。その後,事業所の適用範囲や保険加入の範囲がいくどか改訂されたが,やがて1911年に「ドイツ国保険法」に3種の社会保険が統合され,整備された。しかし,ここでも失業保険制度は設けられなかった。ついに1927年になってようやく失業保険制度がドイツに誕生した。その後1934年のナチス政権下の「社会保険構成法」をへて,第二次世界大戦敗戦の廃墟のなかから,1951年に民主的運営を取り戻した。疾病保険は1959年に改正され,1957年には労働者年金保険法と職員保険法・鉱山労働者年金保険法が制定,失業保険制度は1952年制定,1957年に改正された。社会保険の給付裁定に不服のあるときには,社会裁判所に堤訴できることは西ドイツの社会保障制度の一つの特色である。

 ドイツに約30年遅れて,ドイツの社会保険を批判していた英国に社会保険が取り入れられたのは1911年の国民保険法であった。この制度はすでに述べたように医療保険失業保険とが統合された社会保険であった。財源的には,労働者の拠出分に国庫負担を加えたものであった。その負担割合は,労働者の負担分と,使用者・国庫負担分とがほぼ同じ程度であった。英国のこの制度は最初から加入状況がよく,なかんずく健康保険にはほとんど全部の労働者が加入したといわれるほどであった。制度的運営にあたっては認可組合がこれにあたることになった。第一次世界大戦が終わったあとの1920年には,英国で国民保険から独立した失業保険法が成立した。ここでは1911年法のように適用範囲を限定せず,16歳〜65歳の賃金労働者および年収250ポンド以下の職員にまで範囲をひろげた。第一次世界大戦終了後,国際連盟のいわば下部機構のような組織としてILOが組織され,1919年の第1回総会以来,社会保険の分野にも深くかかわり,各種の条約や勧告で社会保険の発展に貢献してきた。その後,英国では1925年に年金保険制度が発足し,それ以後は諸制度の整備・充実につとめた。1939年に第二次世界大戦が始まったが,1942年戦後の帰趨をみきわめた英国では,ビバリッジを中心として「社会保険並びに関連諸サービス」という報告書を時の英国政府に提出した。しかし,戦時財政下ではこの報告書のようには実施できず,第二次世界大戦後に実施されることになる。なお,ビバリッジ報告の出た年にILOは『社会保障への途』を著し,この分野の啓蒙に非常に役立てた。第二次世界大戦終了後の1946年以降,英国の社会保険は社会保障制度の中心として発展することになる。すなわち,1946年の国民産業災害保険法,同年の国民保険法である。その後英国では,医療保険も労災保険も,年金保険失業保険も,1975年現在でみる限り,国民保険法に統合してしまった。医療保険に関しては,1946年以降の国民保健サービス法と関連する制度となっている。

 米国の社会保障は社会福祉的性格が強く,個人の自由を強制的な社会保険で拘束するのはよろこばれないといわれている。まず1913年に全国社会保険会議が開催されているが,それまでウィスコンシン州で失業保険法が1932年に成立したのみであった。1935年に社会保障法が成立したさい,連邦政府は,老齢・遺族年金を成立させたが,失業保険は各州に行わせた。社会保険としての医療保険は医師会の反対で成立せず,医療保険は民間保険の手にゆだねられる仕末であった。第二次世界大戦後のトルーマン大統領時代にはようやく社会保険重視の政策に変わっていった。しかし,いぜんとして,年金と失業との2種類の社会保険にすぎなかった。ところが,1948年に始まる,いわゆる社会保険闘争の結果,1965年になって老人のみではあるが,老人健康保険法が成立することになり,部分的ではあるが,健康保険が米国でようやく日の目をみることができた。その後新しい社会保険が現在にいたるまで制定されていない。

 社会保険の歴史の最後に日本の社会保険制度の発達をふり返ってみよう。1922年(大正11)に健康保険法が成立したのが社会保険制度の最初である。太平洋戦争が終わるころまでには,1931年(昭和6)に「労働者災害扶助責任保険法」が,1938年に国民健康保険法が,1940年には船員保険法が,1942年に労働者年金保険法が,これが改められて1944年に厚生年金保険法となって次々に成立した。太平洋戦争終了までに成立していた社会保険の種類は,医療保険・労災保険・年金保険の3種類の制度はあったが,失業保険のみは制定されなかった。太平洋戦争後のわが国は,敗戦の結果疲労困憊して制度も有名無実になった。そこで社会保険制度を根本的に見直すために1946年3月社会保険制度調査会が設けられた。同調査会の努力や米国の勧告もあって,1948年12月に社会保障制度審議会が設置され,社会保障制度の実現にむけての努力が行われた。そのあいだ,1947年に労働者災害補償保険法と失業保険法とが制定された。船員保険法の改正も行われた。1948年に国民健康保険の大改正が行われ,1953年に健康保険・船員保険の大改正が行われることになった。なお,特別の健康保険として,同年に日雇労働者健康保険が施行された。かくして20世紀の前半の終わりごろまでに医療保険年金保険・労災保険・失業保険という4種類が出揃ったが,その内容すなわち給付が劣悪であったし,保険の適用範囲も問題であったので,20世紀後半に入って給付内容を充実し,適用範囲を拡大していった。たとえば各種の医療保険は適用範囲をそれぞれひろげて,1960年ごろには国民皆保険のような状態になったし,その給付内容も改善されてきた。なお,1959年に成立した国民年金制度と,1954年に大改正された厚生年金と各種共済組合等の年金制度とを加えて,国民皆年金の状態を徐々につくりだしていった。1947年失業保険が成立して以後,いくどか改正されたが,1975年から全面的に改正され,雇用保険制度となり,全産業の全労働者が対象となり,失業給付と求職活動を行うあいだの生活保障と再就職の援助を行い,あわせて雇用安定事業・雇用改善事業・能力開発事業および雇用福祉事業を行うことになった。1947年(昭和22)に制定された労働者災害補償保険制度においては,被保険者は事業主だけで,労働者は保険料を拠出することなく,業務上の災害に際して給付を受ける制度で発足したが,この原理は現在まで持続しているが,給付内容は時代に応じて改訂された。

 上述のごとく,1922年(大正11)に健康保険をまず成立させたわが国の社会保険制度は,1945年(昭和20)までには失業保険を除いて出揃ったが,その内容がきわめて不備であったので,20世紀の後半に失業保険を加えてその内容を充実し,高度経済成長の初期までに国民者保険・皆年金を実現させ,現在まで,その内容を充実してきたが,最近にいたり,国家財政上の理由で給付内容がかなり後退を余儀なくさせられてきた。

【社会保険の各分野】すでに社会保険には医療・年金・労働災害・および失業(または雇用)保険という4分野があることを述べたので,ここでは各分野の内容を紹介しよう。(a)医療保険 被保険者が傷病時に備えて保険料を拠出し,集まった保険料をプールし,被保険者および家族の傷病時にプールした財源から,全額保険負担か一部保険負担かいずれかの方法で医療給付を受ける社会制度を医療保険という。わが国現行制度の医療保険には,健康保険・船員保険・日雇労働者健康保険・国家公務員共済組合公共企業体職員共済組合地方公務員共済組合・私立学校教職員共済組合・国民健康保険の8種類であって,外国に比べてきわめて多種類に分立して施行されている。これら8種類のうち,国民健康保険のみは,市町村特別区を保険者とし,住民を被保険者とする地域保険である。ほかの7種類は職域の職員・従業員を被保険者とし,政府・健保組合・各種共済組合が経営主体となる職域保険である。これらのなかで,被保険者および家族人員の最も多い保険種別は国民健康保険でその人員数は,4,461万6,000人(昭和58年9月末現在),これにつぐのが政管健保の3,149万4,000人(同前),健保組合2,836万9,000人(同前)である。ほかの種別では地方公務員共済組合の639万3,000人(同前)が最も多く,最も少ないのは日雇労働者健康保険の44万2,000人(同前)となっている。これらの各種別の医療保険はそれぞれ成立の事情を異にしている。しかし,保険財政としては多くの種別に分立して施行するよりも統合して大きい,しっかりした財政基盤をもったほうがよいことはわかっているが,それぞれの種別の利害関係がからんで実際に統合するのがなかなか難しいのが現状である。次に医療保険の保険料をみると,国民健康保険と日雇健保を除くと,だいたい標準報酬月額の6.0〜10.6%,平均的なところでみると8%前後ということになろう。この保険料を労使で折半している。諸外国では年金と医療との統合社会保険であったり,さらに広範なものであったりしているので,十分な比較はできないが,西ドイツでは11.8%(1981年(昭和56)1月現在)が比較できる資料であろう。さらに給付内容をみるとわが国では国民健康保険の世帯主も世帯員も70%の療養の給付のほかは,被保険者は1984年(昭和59)10月から90%(その翌年から80%)給付,家族は入院80%,外来70%になっている。これを諸外国の制度と比較してみると,西ドイツの一部自己負担を含む費用の全額の現物給付,フランスの場合は外来75%,入院80%の協定料金の償還制,スウェーデンでは入院及び外来(25クローナの自己負担)の費用の全額を現物給付制,イギリスの場合は費用の全額現物給付となっている。以上みてきたように,国によって制度が異なるもののわが国医療保険の療養給付の内容はヨーロッパ諸国とほぼ似ている。しかし,イギリスの場合は医療国営の制度であるからわが国の制度とは単純には比較できない。(b)年金保険 わが国の年金保険制度は医療保険と同様,8種類の保険制度に分立して施行されている。これらは厚生年金・船員保険・国家公務員共済組合地方公務員共済組合公共企業体職員共済組合・私立学校教職員共済組合・農林漁業団体職員共済組合及び国民年金である。加入人員の最も多いものは,国民年金の2,646万1,000人(昭和58年3月末現在),ついで厚生年金の2,603万1,000人(同前),最も少ないのは船員保険の19万3,000人(同前)である。各種共済組合のなかでは地方公務員共済組合の329万2,000人(同前)が最も多く,私立学校職員共済組合の32万9,000人(同前)が最も少ない。この年金保険は職域保険と地域保険(国民年金)とでは加入資格が異なるが,職域の年金保険は加入資格が認められたとき(おおむね満18歳以上)から20年間保険料を納付したとき,地域保険では満20歳以上で被保険者となって25年間以上保険料を納付したとき,受給資格が生じるが,各種共済組合では満60歳以上,厚生年金では満60歳以上,国民年金では満65歳以上になって給付が行われている。わが国現行制度における経営主体は厚生年金・船員保険と国民年金とは政府,各種共済組合はそれぞれの組合になっている。まず,各種年金制度の保険料率をみると,厚生年金では男子10.6%,女子9.3%,坑内夫11.8%(昭和59年9月現在),船員保険では12.5%(同前)で,いずれの場合も労使でこの保険料を折半負担している。各種共済組合はだいたい10.2〜10.9%(同前)であるが,公共企業体職員共済組合は10.3〜17.5%(同前),農林漁業団体職員共済組合では10.9%(同前)で,保険料を労使で折半して負担している。そこで諸外国の例を参考にしてみると,イギリスでは付加年金適用者は,被保険者で6.75%,雇主10.2%,合計16.75%(1980年(昭和55)4月現在),付加年金適用除外者は週23ポンドまでの所得につき,被保険者6.75%,雇主10.2%,合計16.95%(同前),週23〜165ポンドの所得につき,被保険者4.25%,雇主5.7%,合計9.95%(同前),自営業者は定額部分週2.50ポンド,所得比例部分5.0%(同前)となっているし,その他(任意加入者)は週2.40ポンドとなっている。フランスの保険料率においては,被保険者4.8%,雇主8.2%,合計13.0%である。西ドイツでは労働者年金保険および職員保険の場合,基本賃金の18.5%(労使で負担折半),鉱山労働者では23.5%(内訳被用者8.5%,雇主15%)となっていて,農民・手工業者の場合は額は異なるが,それぞれ定額を拠出している。スウェーデンは,基礎年金8.3%,付加年金11.75%,部分年金0.25%となっている。アメリカ合衆国では,使用者5.35%,被用者5.35%,自営業者8.0%となっている。このようにみてくると諸外国の保険料率は概してわが国よりも高率である。そこで年金給付はどうなっているのかをわが国と諸外国の例で考察しよう。まず,わが国の厚生年金制度では,老齢(退職)給付と障害(廃疾)給付と遺族給付の3種類があるが,これらのうち老齢(退職)給付のなかには,老齢退職年金・在職老齢年金・通算老齢年金・特別老齢年金・脱退手当金の5種類があり,障害(廃疾)給付には障害年金と障害手当金の2種類,遺族給付には,配偶者に対する遺族年金,子に対する遺族年金,父母に対する遺族年金,孫に対する遺族年金,祖父母に対する遺族年金,通算遺族年金の6種類がある。ここで代表的な老齢退職年金を紹介しよう。この年金制度は,一般男子は20年間または40歳以上15年間,女子は20年間または35歳以後15年間,坑内夫は15年間(実期間)または35歳以後11年3カ月間(実期間)保険料を納付している者に対し,被保険者の資格を喪失していて,一般男子満60歳,女子および坑内夫55歳以上になって給付が行われる年金制度である。この年金の給付内容は基本年金額と加給年金額とで成り立っているが,厚生年金基金加入者にはその加入期間に見合う年金が該当する基金から支給される。英・仏・独・スウェーデン・米国とわが国の給付水準とを比較してみると,そう遜色はない。わが国の場合は平均してみると,欧米と同水準程度か少しましな状態になっているといえよう。給付水準を諸外国と比較する場合,わが国のように保険料の納付月数と退職時の標準報酬月額とを基準にして給付する場合と,外国のように一律保険料納付,所定の要件をみたせば,一律給付を行うような場合との有効な比較は困難ではあるが,一定の年齢になって手にする額を同じような家族条件で簡単に比較すれば,それも一つの比較方法と思われる。いずれの国においても年金保険は保険財政上重要な問題を抱えている。それは高齢化社会の進行状況と年金財政の危機の問題である。ヨーロッパの国々にように,満65歳以上の人口が総人口のなかで,13〜16%も占めているような国々のなかで,一応高齢化社会への進行状況が鈍ってきている国々では,年金計画の見通しがたって,ほぼ狂いのない年金財政の運営が行われる。しかし,平均年齢が延びて給付総額が増大していくとか,給付内容を充実したり,それに見合う財源がないなどの場合に苦しい年金財政を余儀なくされる。わが国のように高齢者化率が10%前後の段階で,さらにこれから最高18%近くの増大をみこまれている国ではどうしても小さく分立している年金制度の統合,年金財政の合理化,保険料の増額は避けられない状況である。(c)失業保険または雇用保険 現在各国で抱えている重大な社会問題の一つは失業問題である。資本主義諸国では例外なく,高率の失業率を示している。失業保険は失業問題に対処する有効な方法の一つではあるが,何としても完全雇用をめざす政策が優先する。完全雇用に近づけば失業保険もその機能が濃密になる。失業者が多く生み出されると散漫な対策しか打ち出せないことになる。失業保険制度を簡単にみると,わが国では雇用保険と船員保険とに分かれ,保険者はいずれも政府で,保険の対象者は雇用保険では一般雇用者,短期雇用者及び日雇労働者であり,船員保険では船員である。保険の対象人員は,日雇労働者の15万人(昭和57年度末)の外の一般雇用者および短期雇用者の合計は2,599万人(同前),船員は15万8,000人(昭和57年度末)である。保険料率は若干バラエティに富んでいる。すなわち,一般は1.45%(内訳本人0.55%,使用者0.90%)となっている。農林水・清酒製造業1.65%(内訳0.65%,1.00%),建設業1.75%(内訳0.65%,1.10%)となっているし,船員保険では1.9%(内訳0.95%,0.95%)となっているが,日雇労働者のみは,日額1級146円(内訳73円,73円),2級96円(内訳48円,48円),および3級41円(内訳31円,32円)となっている。この保険料に加えて給付費の4分の1(赤字のときは3分の1まで)の国庫負担(ただし,日雇労働者の場合,給付費の3分の1まで,黒字のときは4分の1まで)が財源となっている。これを外国と比較すると,西ドイツは賃金支払額の3%を労使折半,フランスでは賃金の0.84%を労働者が,2.76%を使用者が負担することになっている。米国では連邦賃金支払税(年間賃金支払額の3.2%を事業主負担)と各州法による失業保険料(年間賃金支払額の2.7%を基本とするメリットシステム)を拠出して労働者負担はない。したがって,保険料ではわが国のほうが低率ということになる。次に給付額をみると,わが国の雇用保険の失業給付は,求職者給付と就職促進給付とに分かれ,そのほかに雇用安定事業・雇用改善事業・能力開発事業・雇用福祉事業の4事業を行うことができるようになっている。これらのうち,求職者給付には基本手当・技能修得手当・寄宿手当・傷病手当の3種類があるが,ここでは基本手当だけを紹介しよう。この手当の受給要件は,離職の日以前1年間に被保険者期間が6カ月以上であった者に限られ,給付日額は,前職賃金の8〜6割で,給付日数は被保険者として雇用された期間が1年以上の者に対し,30歳未満90日,30〜45歳180日,45〜55歳240日,55歳以上300日となっているが,1年未満の者には一律に90日間となっている。外国との比較はなかなか難しいが,外国の給付内容のほうがややよいように思われる。それゆえ,高失業率の国の財政負担は相当重いのではないかと思われる。(d)労働者災害補償保険(通称労災保険) わが国現行制度は,労働者災害補償保険と船員保険とで,経営主体はいずれも政府,対象は一般被用者と船員である。昭和57年度末現在の対象人員は一般被用者3,359万人と船員の19万2,000人である。この保険の財源は今までの3種の社会保険とは異なり,使用者の掛金と国庫負担とで維持されている。すなわち労働者は保険料を負担しない。また,使用者の掛金率は賃金総額に対し,0.5〜12.9%となり,船員保険は7.5%である。この点西ドイツでは,賃金支払総額の1.3%,フランスの平均率は賃金支払総額の約4.0%,スウェーデンでは0.35%,米国の平均率は1.3%となっているが,米国のみは被保険者に若干の拠出をさせている。わが国現行制度の給付内容をみると,負傷・疾病に対するもの(療養補償給付・休業補償給付・休業特別支給金等),障害・廃疾に対するもの(年金・一時金),遺族に対するもの(年金・一時金),葬祭に対するものとがあり,労働福祉事業をも行っている。諸外国の給付内容も,濃淡の差はあれ,だいたい同じような給付を行っている。

【社会保険行政】現行制度の社会保険はすべて個別の法規によって規定されている。社会保険制度と行政機構とを関連させてみると,まず,一般職域では,健康保険・厚生年金保険雇用保険・労災保険の各法規が該当する。まず健康保険においては政府管掌は社会保険庁・厚生省保険局の管理・運営下にあるが,各職場で保険料を代理徴収して地域の社会保険事務所に納入し,これが都道府県民生主管部に報告がいき,さらに社会保険庁に報告がいく。医院や病院などで保険診療が行われると診療報酬の請求とレセプトとが社会保険事務所にいき,そこから審査の結果請求者に支払いが行われ,被保険者へ医療という現物給付が行われる。健保組合は都道府県民生主管部の監督下にあるが,広域にまたがるものは厚生省保険局の管理下に入る。厚生年金は職場から社会保険事務所に保険料を納入し,都道府県民生主管部に,さらに社会保険庁,厚生省年金局に報告がいき,社会保険庁で審査認定の結果,年金給付が各個人に行われる。雇用保険と労災保険とは,それぞれ労働省職業安定局・基準局の管理下にあり,雇用保険の認定給付は公共職業安定所,労災保険の認定給付は労働基準監督署で認定と給付とが行われている。このほかにも種々の行政機構が関連している。諸外国の場合は独自の機構をもって行政を行い,保健社会保障省(フランス・イギリス)のように単一の省庁で行っているところもある。

〔参考文献〕佐口卓・上山顕編『社会保険』1971,有斐閣選書

「厚生の指標」臨時増刊『保険と年金の動向』(毎年秋に刊行)