●社会政策 しゃかいせいさく
AD
国民の生活福祉の保障と向上をめざす政策と見なされるが,資本主義社会においては,賃金労働者を長期にわたって確保し,また体制の安定化を自的として行われる。具体的には厚生行政として現れるが,総資本・国家の政策である。資本主義社会においては資本のために必要とする数の賃労働者の確保が重要な条件となる。しかるに,産業革命直後,資本主義社会のごく初期においては,無制限な自由競争において,長時間労働において労働者の疲弊は増し,婦女子や年少者までも動員されてその健康を損われることが多かった。それは同時に新しい労働力の不足を意味した。そこで国家によってとられたのが,「児童労働の禁止」「女子および年少労働者の労働時間の制限」であり,これらが社会政策の始まりとなった。具体的には1802年,イギリスで制定された「徒弟の健康と道徳保全に関する法律」がそれである。まず社会政策の展開として児童に関する法律ができたことからも,あくまでもこれが,次の代の労働力の確保を目的としたものだとわかる。第2の社会政策は,労働者階級の団結権に関するものである。労働組合の法的容認もこれに付随してくるが,この段階に達するには,それにみあった生産力の向上と,より広範な労働者の存在が必要であった。労働組合は,ある面では労働力を組織することで,労働力を必要とする資本とのあいだの需要供給のバランスをとることもあった。とはいえ,19世紀初めまでの団結権の禁止を打ち破って労働組合を結成するにいたるには,長い闘いが必要であった。社会政策の第3の展開は,疾病・災害・老齢・失業などによる労働者の生活の困窮に対して,所得を保障する社会保険の政策である。この社会保険の体系は,1880年代以降,ドイツを中心として徐々に広まっていくが,このことは,個々の労働者の悲惨さを救いはするものの,この政策の背景にあるのは,そのような思想的なものではなく,労働者の病気などによる一時的な損失を,社会総体において面倒をみることで,個別資本にとっても合理的かつ有効な政策であった。つまり,労働者を総体において見るかぎり,保険によってお互いに救助しあうことで,資本にとっては,いっそう安定した労働力を得ることになる。保険制度は総資本にとって,危険と損失の分散を意味していた。つまり,そのまま階級は持続され,労働者は再生産された。
第一次世界大戦後,アメリカに始まった大恐慌は世界中に波及し,大量の失業者が生じ,失業保険の問題がクローズアップされる。失業保険と,失業対策・失業者救済事業が社会政策として行われる。この場合も,地方公共団体や政府によって失業者を救済するというよりは,失業保険によって一時的な労働所得の中断を補い,失業者が再び労働力として雇用しうるようにするのが目的であり,また,窮乏化による政治的先鋭化を回避させることをも予定していた。ただ,1930年以降の失業保険は,国家が制度として行う社会保障のなかにくりこまれ,失業者救済よりも,完全雇用をめざす政策に変化してくる。この変化は,資本主義社会が,国家資本主義段階へ突入したことで,国家が「計画的」に管理にのりだしてくる過程と重なっている。労働者の個々の救済から,国家は,資本主義社会のメカニズム全体に介入することにより,その延命を合理的にはかろうとするにいたる。国家が労働力の保全と安定を全面的にはかろうとする。労働組合の誕生時点では本来無縁であった社会主義イデオロギーは,いつしか組合運動と深く結びついてきたが,この結びつきを再び切断し,労働組合を企業のうちに閉じこめ,また,経済問題の枠内に閉じこめようとする。このような資本主義発展の歴史において,失業対策(社会保険)は,所得の配分(賃上げ)の問題とともに,国家が体制を維持していくために選んだ方策であり,各種福祉政策とともに,第二次世界大戦後においても,その本質は同じであるといえよう。