50音順    検 索

●社会人類学 しゃかいじんるいがく

AD 

 人類学の一分野である社会人類学は,イギリス社会人類学の創始者ラドクリフ=ブラウンによれば,人間の社会関係の分析に重点を置いた理論科学であり,比較社会学ともいう。それは具体的な観察が可能な人間の行為を介しての社会関係の研究を行うものである。

【研究対象・領域】その研究対象は文字をもたない未開社会がおもなものであったが,多くの社会人類学者が自らを一種の専門化した社会学者と見なしている今日では,西欧などをもその研究対象とするにいたっている。社会人類学は親族集団や共同体内の社会集団の社会生活についての研究を行う。未開社会の社会構造とその変遷について比較による理論研究を行う際の分析理論はデュルケムらのフランス社会学の影響を受けている。初期すなわち今世紀前半においては家族・婚姻・親族関係・地縁集団,さらには呪術などの構造や機能分析がその研究領域であったが,20世紀後半には親族関係が相変わらずその中心をなす一方で,政治組織や法体系・社会階層などにも関心がひろがり,象徴や認識までその射程のなかに取り込もうとしている。

【現地調査】社会人類学では現地調査(フィールド=ワーク),すなわち研究対象となる人々のなかに居住し,その言語を習得して日常の行動様式を観察する集約的方法がとられる。マリノフスキーによれば,現地調査は事物を外から研究するだけでなく,研究の対象となる人々の生活と情緒的・感情的かかわりをもつことを可能にする。調査にあたっては,現地の人々自身との観察者の経験を理論的な先入観よりも優先させるべきであって,このように研究対象となる人々の諸活動に参加しながら行う調査方法を参与観察法という。なお今日では,1回の現地調査は2年が適当とされている。

【成立】今世紀以前の人類学の主要理論は進化主義および伝播主義であった。フレーザーやモーガンらの進化主義によれば,人類の社会は一般法則に従って原始的な形態からより高度な,もしくはより複雑な形態へと進化する。しかし進化の速度は社会によって異なるために,今日残存する遅れた社会は進んだ社会の過去の姿であり,これを分析することにより人類の過去の発展段階を復元することが可能となるとされた。これに対するアンチ=テーゼが伝播主義であり,ある社会でつくりだされた文化要素は,民族の移動や接触などにより他の社会へと伝えられるというものであった。しかしどちらも未開社会に関する情報を歴史的過程のなかに組み込んで,普遍的な体系を構築しようとしたもので,その基盤には人間の普通性に対する信念と西欧中心主義とがあった。また資料も現地調査にもとづかないものを,その社会の文脈から切り離して体系の例証として用いる傾向にあった。進化主義・伝播主義の理論は,イギリスでは20世紀初頭にはすでに受け入れがたいものとなっており,それに代わるものとして登場したのが機能主義にもとづく社会人類学であった。その成立は「疑似歴史」「疑似因果関係」といった推論によって歴史を再構成することを否定し,現地調査を重視したマリノフスキーラドクリフ=ブラウンが,『西太平洋の遠洋航海者』および『アンダマン島民』を刊行した1922年のことであった。

【機能主義】マリノフスキーラドクリフ=ブラウンはともに「機能」という概念をデュルケムに負っている。彼らは文化・社会をその構成要素をばらばらに理解するのではなく,全体を一つの有機体としてとらえ,個々の構成要素が現存の社会・文化の内部でどのように相互連関し,また全体のなかでいかなる役割を果たしているかを明らかにしようとした。すなわち機能とは個々の要素が全体のなかで,もしくは全体の存続のために果たす一定の役割のことである。ラドクリフ=ブラウンは機能と意味とを区別し,重要なのは観察者が社会行動に対して付与する意味ではなく,観察対象である社会の成員自身がその行動に与えている意味であり,これが特定の信仰や制度と関連していると主張する。したがって観察者自身の社会において有する意味をその外見のみにより社会現象に対し与えるべきではなく,社会現象の主観的意味をも含み込んでいる機能こそ探究されるべきものであった。

 しかしながらラドクリフ=ブラウンが実証性と帰納的方法を重視し,研究対象を実際の観察により抽出される関係の網の目としての社会構造に置いたのに対し,マリノフスキーは社会関係も含めてあらゆるものを「文化」概念で包括しようとした。ただしマリノフスキー自身は諸要素の具体的連関について理論化しておらず,したがって以下にラドクリフ=ブラウンによる社会構造論を述べる。彼によれば社会は互いに連関し合う要素からなる統合体で,その最小単位は個人である。個人はさまざまな形で他の個人と結びつきながら社会のなかで一定の位置を占める。こうした関係は個人の死にかかわりなく永続的なもので,こうした関係の網の目を「社会構造」と定義した。また個々の社会的事実の機能は,社会構造の維持・存続を行うことであった。たとえば親族の機能は民族の結合の維持であり,首長の機能は「部族結合の象徴」であった。また社会構造を構成する諸要素が調和して,ある種の内的一貫性を保ちつづける状態のことを「機能的一致」と呼んだ。この一致は社会内の制度相互のあいだや制度と社会一般にいだかれている諸信仰のうちに存在する。また集団や集団間の関係にそのまま還元できない分野−−宗教や神話・芸術・宇宙論など−−についても家族や部族の継続にとって重要なある種の価値を表現し,象徴している面が強調された。こうした社会構造と機能の分析の際に用いられた方法が比較であった。彼はさまざまな社会形態のあいだの類似と相異を組織的に研究することにより,社会体系の存在条件についての仮説(社会静態学の法則)や,社会変化にみられる規則性(社会動態学の法則)の公式化・証明を試みた。そして適切な分析概念による一般化を行うことにより,社会人類学を“人間社会のための自然科学”たらしめようとした。

【批判】[1]ラドクリフ=ブラウンの機能主義(機能的一致)は,目的論的であり,均衡状態に力点を置きすぎるために社会変化の説明が困難になっている。エバンス=プリチャードは『ヌアー族』(1940)において,政府をもたないヌアー社会で秩序を維持せしめているのは葛藤(conflict)であることを述べている。またグラックマンも特定の支配者を倒しそれにとって代わることを目的とするrebellionと体制自身の変革をめざすrevolutionとを区別し,アフリカの部族社会において通常みられるのは前者であり,このような社会紛争は社会組織を維持してゆくために積極的機能を果たしているとしている。こうした動態的視点がラドクリフ=ブラウンには欠如していた。[2]人類学者が現地調査に際して,調査している社会と調査者自身の,あるいは他の社会とを比較して類似性と差異とを明らかにしてゆくことは重要であり,その意味で比較は社会人類学の本質的分析方法であるが,それが公式化(世界中の社会に共通する一般法則の抽出)へとむかうと,比較項目は社会における公分母的なものに限られ,その結果生まれる法則も陳腐なものにならざるをえない。こうした法則化に対しエバンス=プリチャードは,社会は自然体系ではなく道徳的・象徴的体系としてとらえるべきであるとする。彼によれば社会人類学は社会についての「自然科学」ではなく,対象とする文化をもう一つの文化に翻訳することであり,意味を追求する人文科学である。したがって社会人類学は規則性・パターンを探って解釈を行うべきであって,法則を求めるべきではない。[3]機能主義は構成要素間の相関関係の立証を分析の主目的としているため,歴史的・通時的方法になじまず,その研究方法は共時的である。しかしながら方法論的に歴史を排除してしまうのは,有効な歴史的資料を放棄してしまうことにもなり,より複雑な社会を扱うにあたり,歴史的分析を方法論のなかに組み入れることの必要性が高まっている。