●社会教育 しゃかいきょういく
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【概念】[1]意義 社会教育は,広い意味では,家庭教育および勤労の場所,その他社会において行われる教育を総称し,かつ意図的計画的な教育のみでなく,無意図的付随的教育も含むものと考えられている。しかし今日,社会教育という場合には,一般に社会制度としての社会教育をさし,定型化された教育を意味する。法制上,社会教育は〈学校教育法に基き,学校の教育課程として行われる教育活動を除き,主として青少年及び成人に対して行われる組織的教育活動(体育及びレクリエーションの活動を含む)〉(社会教育法第2条)と定義されている。すなわち,社会教育は学校のカリキュラム以外の「組織的な教育活動」で,青少年および成人を主要な対象とする。この点に着目して社会教育は「学校外教育」だということがあるが,それは場所的な意味ではなく,学校の教育課程以外の教育活動という意味であって,在学青少年に対する学校外教育と学校卒業後の成人に対する組織的な教育活動の両方を含むものと考えられている。場所的には,学校は公民館や図書館・博物館などの施設と並んで,社会教育の行われる重要な場所となっている。
社会教育は,実施主体によって,人々の自発的な学習活動,青少年団体や婦人団体のような団体の行う教育活動,民間の教育文化産業の行う教育活動,一般行政に付随する教育活動および教育行政が行う教育活動などに区分される。この場合,狭い意味の社会教育は,教育行政が行う教育活動に限定して考えられ,他の社会教育から区別して“公的社会教育”と呼ばれている。
[2]欧米における概念 欧米諸国には,わが国の「社会教育」に相当する単一の概念はない。意味の上で社会教育に相当するものとしては,ユース=サービスないし,ユース=アンド=コミュニティ=サービスという青少年を対象とする学校外教育活動と,学校卒業後の成人を対象とする成人教育の両方を含めて考えることができる。英語のソーシャル=エデュケーションという概念もあるが,それは一般には,わが国の社会教育のような組織的教育活動を意味するものではなく,人間の社会的教育,すなわち社会的形成をさすことばである。しかし最近では,このソーシャル=エデュケーションということばが,日本の教育制度を海外に紹介する場合には,わが国固有の社会教育を意味するものとして使用されている。
社会がどの教育部分にどんな教育機能を委託するかは,当該社会における教育制度の発達過程や他の社会諸制度に配分される教育機能などとの関連で,歴史的・社会的に決定される。したがって,特定社会の教育制度の等価物を簡単に他の社会のなかにみいだすことは困難である。この意味では,わが国の社会教育において「成人教育」がその重要な部分を占めるとしても,社会教育を欧米語でいう「成人教育」に単純に置き換えて考えることには無理がある。その具体的な内包性は,それぞれの社会によって異なるからである。この点で,社会教育の概念は,明治以降の近代学校教育制度の発達過程で,学校教育に対する補完的役割を与えられたわが国独自の意味内容をもつ概念だということができる。これは,欧米諸国において同じ「成人教育」という概念であっても,その社会の学校教育制度や,その他の教育機関のあいだの機能分担が異なるに応じて,その教育の性格や位置づけが大きく異なるのと同様である。
【歴史】[1]社会教育制度化のパターン 社会教育の制度化は,二つのパターンですすめられてきた。一つは,早い時期に近代国家の統一と産業開発に取り組んできた国々のパターンで,そこでは,近代国家および産業社会の担い手の養成のために,まず学校教育を組織化し,これを補完するものとして学校外教育や成人教育を制度化してきた。イギリス・アメリカ・ドイツ・フランス・ソビエトおよびわが国の社会教育は,このパターンに含まれる。これに対してもう一つのパターンは,今日発展途上国ですすめられているもので,国づくりや,地域社会の開発と識字教育を並行してすすめるパターンである。この場合には,第1のパターンに比べて成人を対象とする識字教育が,成人教育として重視されているのが特徴である。
青少年を対象とする学校教育は,その効果が発揮されるまでに,彼らが成人するまでの時間がかかり,したがって,それだけ人材養成面で国づくりや地域社会開発は長期間を要することになる。これには教育投資の効果が顕在化するまでの時間的および財政的なゆとりの有無も関係している。このために発展途上国では,一方で成人教育の制度化をすすめながら,他方で,学校教育の制度化が準備されるのがふつうである。
こうした二つのパターンのうち,いずれのパターンをとるかは,当該国家社会の近代化の過程や歴史的・社会的事情による。
[2]戦前の社会教育 わが国で社会教育が制度化されたのは,明治初期である。まず着手されたのは,産業・文化・学術全般に関して,国民を啓蒙教化する目的のもとに博物館・図書館など,社会教育施設を整備することであった。明治以前にも,宝物や各種物産の収集・保管や記録,図書寮,文倉,文庫などが存在しており,今日の博物館や図書館の前期的形態のものはみられたが,「人の知見を広」め「有用な知識の普及」をはかるために,一般国民を対象とする施設として,これらが着目され,近代的形態のものとして制度化されたのは1871〜72年(明治4〜5)のことであった。
わが国の近代教育の基本方針を示した『学制』の序文「被仰出書」によると,「学問は身を立るの財本ともいふべきものにして人たるもの誰か学ばずして何ならんや」「自今以後一般の人民必ず邑に不学の戸なく家に不学の人なからしめん事を期す」と書かれている。これは,単に近代学校教育制度の指導理念であっただけでなく,わが国の近代社会教育のそれでもあった。
こうした理念のもとに,一般民衆を対象として行われた各種の啓蒙活動や教化活動は,「通俗教育」と総称され,1885年(明治18)の文部省通達で,同官制のなかに通俗教育を処理する部門が制度化され,公用語として使用された。1911年(明治44)には,文部省に通俗教育に関する事項を調査審議することを任務とする「通俗教育調査委員会」が制定され,図書・フィルム・講演会などの認定や資料作成の事務を扱った。これは関係事務の1本化をはかるために,1913年(大正2)に廃止されるまでつづけられた。つづいて1917年(大正6)に制定された臨時教育会議は,通俗教育の改善に関する勧告を行い,通俗教育担当の主任官を中央および地方に置くことや,図書館・博物館の発達の促進,出版物や興行物の取り締まりに関する準則の設置などについて答申した。これを受けて1919年(大正8)には,文部省に通俗教育,図書館・博物館・青年団体に関する事務をつかさどる課が新設された。このころから通俗教育という用語に代わって,「社会教育」という用語を使用することがしだいに一般化し,1921年(大正10)には文部省官制中「通俗教育」が削除され,「社会教育」と改められた。このとき,社会教育という用語は公式用語とされ今日にいたっている。そして1924年(大正13)には文部省社会教育課が設置され,わが国の文教行政の一環として,社会教育行政が全国的な規模で行われる機構が整備された。社会教育課は1929年(昭和4)社会教育局に発展した。
そのあいだ,一方で,明治10年代の自由民権運動や大正期のデモクラシーの影響のもとに,民間の社会教育活動や自己教育運動も組織化されてきたが,日露戦争・満州事変・太平洋戦争などを契機として,一連の国家総動員体制のなかに組み込まれていった。
[3]戦後の社会教育 1945年(昭和20)8月の敗戦によって,わが国の社会教育は,それまでの戦時体制下の国民精神総動員運動(1937〜41)や,国家総動員運動(1941〜45)の一環としての位置づけから解放され,自由主義と民主主義を理念とする新日本建設の根底をなすものとして振興策が講じられた。
戦後の社会教育は,他の行政施策と同様,GHQ(連合軍最高司令部)の管理と指導のもとにすすめられた。その基本となったのは,1946年(昭和21)にまとめられたアメリカ教育使節団の報告書であった。そこで強調されているのは,「個人」を原点とする教育のあり方で,それまでの中央集権化された前近代的な教育にとって代わって「個人が一生を通して順次その最善の自己に到達する結果をもたらすような教育」への方向性が堤示された。1946年(昭和21)8月,GHQの指導のもとに,アメリカ教育使節団への協力機関として内閣に教育刷新委員会が設置された。この委員会は1949年(昭和24)に教育刷新審議会と改称され,1952年(昭和27)「中央教育審議会」が設置されるまでのあいだ,戦後教育改革への数多くの建議を行った。それらのなかでも1948年(昭和23)の「社会教育振興方策について」の建議は,社会教育関係立法の速やかな実現を要望し,これにもとづいて翌1949年(昭和24)6月に社会教育法の成立をみた。ついで1950年(昭和25)に図書館法,1951年(昭和26)に博物館法が制定された。
これらの法律の制定と,その後の一部改正や追加によって,社会教育に関する国および地方公共団体の任務や社会教育関係職員や団体,公民館の設置や学校施設の利用をはじめ社会教育諸施設の目的や性格も明確となり,社会教育全般にわたる法制化は急速に整備された。
このような新しい教育理念と法制的整備と並行して,社会教育の方法は,上意下達ないし国民教化的なものから,相互学習や集団学習の重視へと変えられ,その内容も新しい民主主義社会の公民教育や文化・科学講座や社会学級など,豊かな学習機会が堤供されるようになった。なかでも,昭和20年代後半に始まる勤労青年を対象とする青年学級の振興と,1956年(昭和31)度から始められた各地域の婦人学級の開設は,戦後の社会教育の発展に大きな足跡を残すものとなった。
それ以後,昭和30年代の半ばからは,経済の高度成長と社会構造の急速な変化に伴い,これに対応する社会教育のあり方が問題とされ,種々の新しい試みが導入された。社会教育法も一部改正されたり,関係団体への補助金の支出も合法化された。1968年(昭和43)7月には,社会教育審議会は文部大臣から「急激な社会構造の変化に対処する社会教育のあり方」について諮問され,1971年(昭和46)4月に,これに対して答申した。この答申は,昭和30年代後半からの社会構造の変化の課題と振興の方向を具体的に明示したものであり,それ以後の社会教育行政施策の拠りどころとなっている。このとき,提出された基本的視点が社会教育を生涯教育の一環として捉える視点であり,これは1977年(昭和52)の諮問に対して,1981年(昭和56)に中央教育審議会が行った「生涯教育について」の答申に引き継がれていった。
【構造と組織】[1]社会教育の理論モデル 同じ社会教育といっても,時代や社会環境によって,その位置づけや性格にかなり大きな違いがあるが,人間の生涯にわたる教育全体のなかで,社会教育が分担する教育部分には共通の明確な特徴がある。この特徴は,学校教育のそれとの比較において対照的に構造化することができる。
表1は,このことについてこれまでになされた構造化の試みを参考にしながら,社会教育と学校教育の両構造特性を七つの次元において理念的に図式化したものである。これによると,同じように制度化された教育でありながらも,二つの教育下位体系は,構造的・機能的にかなり対極的な特徴をもっていることがわかる。社会教育は現実指向的・短期的・流動的・自発的・実学的・学習者中心的・生活統合的および自治的などの諸特徴をもつのに対して,学校教育は未来志向的・長期的・固定的・強制的・概念的・教師中心的・脱生活的および権威的などの諸特徴をもっている。前者を教育構造の「(教育の)柔構造モデル」と呼ぶとすれば,後者は「(教育の)剛構造モデル」と名づけられる。
このような二つの教育部分の構造的特徴の対極的な違いは,人間の生涯にわたる教育全体のなかで,社会体系から両教育下位体系に委託されている教育の役割分担の違いからきている。たとえば,人々が生涯にわたって必要な知識や能力は,一方で,義務的・強制的・画一的に,すべての者が,所定の内容を所定の教育手続きによって学習するというパターンで習得することが必要なことであり,他方で,同じ知識や能力といっても,自発的・自主的・個別的に,自己の必要や要求にもとづいて,多様な学習活動を通して習得することを許容されるものとがある。現行の教育体系は,この二つの教育部分を対極的に構造化することによって,人々の生涯にわたる教育の要求や必要を相互補完的に充足する仕組みになっており,そのうちの社会教育は,柔構造的部分を分担している。このことに着目して,社会教育は現実性・自発性・生活性・多様性・柔軟性・相互性などを教育原理としているといわれることがある。
[2]教育組織 広い意味での社会教育は,あらゆる場所で多様な形態をとって行われ,組織化の水準や方法の異なる広範囲の学習者への教育援助として実施されているが,狭い意味での社会教育の原型は,人格的な関係を媒介とする組織的な教授学習活動である。この教育活動を行うための集団組織は,「労働者教育」や「農民教育」などのように対象別に編成されたり,あるいは,教育内容に着目して「家庭教育」や「消費者教育」などの区分にもとづいて編成されたり,さらに生涯各期の年齢区分にもとづいて「青少年教育」「成人教育」「高齢者教育」などとして編成されている。
これらのうち社会教育の行政組織との関係で,ふつう行われている教育組織は,青少年教育・成人教育・婦人教育および高齢者教育という区分である。
青少年教育は,青少年を対象とする社会教育で,戦後,青少年の不良化防止と勤労青年に対する後期中等教育の補充としてすすめられてきたが,その後の生活環境の変化や高等学校および大学などへの進学率が上昇するにつれて,在学青少年への学校外教育活動として注目されるようになった。青少年の健全な成長発達のためには,学校教育だけでは不十分であることが認識され,それとバランスをとるような形で自然のなかでの体験学習,異年齢集団での交流,社会参加としての社会教育活動などが重視されてきている。これとの関連で児童文化センター・少年自然の家・青年の家などの社会教育施設が整備され,またそのための指導者の養成・研修事業も拡充されてきている。
こうした青少年自身を対象とする社会教育と同時に,青少年問題の出現と,これへの家庭教育の対応の重要性にかんがみ,青少年健全育成のための家庭教育に関する社会教育はとくに重視され,主として両親を対象とする「家庭教育総合推進事業」や,地域ぐるみの青少年健全育成活動が各地で実施されている。
成人教育は,成人を対象とする社会教育であるが,もともと青少年期の学校教育の補完的役割を課され,それ以外の成人を対象とする社会教育活動は,長いあいだ十分に組織化されなかった。しかし,社会構造の急激な変化と人々の生涯学習への要求の増大に対応して,生涯教育の必要性が一般化するにつれて成人教育の重要性は増大し,成人教育は今や量的にも質的にも飛躍的な発展を遂げつつある。そのことは,たとえば,学習活動への参加者や教育機会堤供機関の増大,教育内容の多様化や水準の上昇,学習情報堤供や学習相談事業のような教育援助方策の充実などの点にみられる。
婦人教育は,成人である婦人を対象とする社会教育である。婦人教育は,もともと婦人の学習課題と,ライフサイクルの独自性に対応するものとして制度化されたものだが,これまでの婦人教育は,結果的に家事・育児を中心とする伝統的な性役割といわれる女性の特性を固定化するような傾向があった。しかし,社会構造の変化により社会参加する婦人が増大し,かつ1975年(昭和50)の国際婦人年を契機とする婦人問題解決への取り組みが進展する過程で,婦人教育は,今や女性の新しい生き方を創出するための社会教育へと変貌しつつある。
高齢者教育は,成人高齢者を対象とする社会教育であるが,その学習課題や教育的配慮の独自性と同時に,人口全体のなかで占める高齢者の比重の上昇とともに,社会教育のなかで独自の扱いを受けるようになった。とくに最近では,進展する高齢化社会への対応として,高齢者のための新しい事業の企画や内容の改善・充実をはかる目的のもとに,「高齢者教育促進会議」が設置され,高齢者教室・ボランティア養成講座などの開設,高齢者人材活用事業や世代間交流事業などが実施されている。
【展望と課題】社会構造の変化や科学技術の進歩,人々の関心の“もの”から“心へ”の変化や,生涯的な自己実現と生きがいある人生の追求などに対応するための生涯教育の要請は,生涯教育の観点からの教育全体の見直しを迫り,社会教育も新しく生涯教育の観点から,そのあり方が問い直されつつある。生涯教育は,マクロな制度的概念としては,すべての教育部分を統合し,教育制度全体を再編成するための指導理念だと考えられている。このレベルでは,生涯教育における学校教育と社会教育の役割分担が新しく問い直され,一方で,学校教育の地域住民への開放や履修条件の弾力化が追求され,他方で,社会教育本来の特性を維持しながらも,その学習内容の体系化や水準の向上が追求されている。こうした両方からの生涯教育における役割分担の追求は,これまで両者のあいだに設けられていた境界線や区分の改廃さえ迫る考え方をも出現させている。生涯教育は,ミクロな実践的概念としては,人々の「生涯学習」を支持・改善・促進する援助だと考えられている。その場合,生涯学習は「自己管理的学習」としてのみ成立するので,生涯教育は結局,自己管理的学習への援助活動ないし教育的配慮を意味する。これは,人々の教育資源への接近と,それを通して自己管理的学習の発展をはかることによって実現される。このための生涯的援助ということになると,社会教育は学校教育よりもはるかに大きな教育責任を背負い込むことになる。こうして社会教育は,ラングラン流にいうと,生涯教育推進の「機関車」となり,ボシィアー流にいうと,生涯教育の「ハート」となって推進することが期待されている。
〔参考文献〕国立教育研究所編『日本近代教育百年史(社会教育)』1974,文唱堂
文部省社会教育局『社会教育の歩みと現状−−社会教育法施行30周年記念』1980,文部省
池田秀男・堀薫夫『生涯教育と成人教育』教育学研修講座13,1984,第一法規出版
池田秀男『学習社会論からみた状況と展望』日本社会教育学会年報第28集,1984,東洋館出版
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