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社会学 しゃかいがく
【社会学の成立】社会学の創設者としてフランスのコントの名前をあげるのが定説とされているが,それに多くの異論も唱えられている。このことはすべての学問上の理論がそうであるように,コントの社会学も一夜にして出現したのではなく,出現すべき必要性がすでに醸成されていたことと関係する。社会学とは何かについて可能な限り簡潔に表現するとすれば,人間の共同生活とそれに関する諸現象の科学的研究ということができるが,共同生活に人類が何らかの考察の眼をむけることは,すでに古代から始まっている。プラトンの『共和国』やアリストテレスの『政治学』がこの代表的な例といえよう。ところでいまある程度の数の人間が一地域に集まっている場合,別に国家が存在しなくても自然発生的にそこに何らかの構造化や規則性を伴った集合体が形成されるはずと想定し,本来の共同生活とはこのような集合体の下での生活であると理解して,これを国家とは別に「社会」と呼ぶとすれば,このような社会に対する認識は近代自然法の下で初めて現れたとみることができる。周知のように近代自然法の諸学説では,王権や国家の性格について,社会契約説を回転軸とする多様な理論構成が試みられたのであるが,結論が王権と国家の制約に落ち着くにせよ,逆にその擁護に傾くとしても,つねに王権や国家に対するものとして,上でふれた意味での社会が意識され,その検討が理論構成の出発点となっていた。かくして人類は近代自然法の指頭によって社会概念に到着したのであるが,ただその概念は理論的であったとしても立脚点は思弁的規範的であって,経験的事実に対する考慮を欠落させており,コント社会学の成立までにはかなりの距離を残していた。しかし間もなく思弁的自然法論を批判し,経験的事実にもとづいて人類の発達を扱おうとする経験的社会論が進歩の思想を伴って登場し,ついで自然科学の目覚ましい展開に影響されて社会に対しても科学的分析を加える必要性が認識されるようになり,さらにロマン派の出現に伴って社会を生物有機体からの類推によって把握しようとする社会有機体説が説かれるようになる。コント社会学に接続するまでには以上のような段階を要したのであるが,社会学の出発点について異説がなくないのは,古代社会における共同生活への考察から始まるこれらの段階が,それぞれに社会学に到達するまでの道標になっているところから,そのどれを出発点と見倣してもそれなりに説明が可能なことによるのであろう。ここでコント社会学に移ると,まず上述の進歩の思想と科学的態度の反映として,コントは人類の知識が神学的・形而上学的・実証的という3段階を辿って発達する−−人智発達の3段階の法則−−が,知識分野の違いにより発達の遅速が異なると説く。彼によれば,人類がこれまでにつくり上げてきた科学も最初の実証的段階への到達順に数学・天文学・物理学・化学・生物学・社会学という序列をなしており,後位の科学は前位が実証化されて初めてそれを基礎とした自らの実証化が可能となった。ただ最初の社会学はまだ実証化が遅れており,フランス革命時の彼の時代が社会的混乱から脱脚して秩序を取り戻すには社会学の実証化が不可欠である。このような役割を担う彼の社会学では対象となる社会が一つの有機体を構成しており,したがって全体として把握されるべきであって,内部の個人や各部分を切り離して研究することは不可能と見做される。このため社会に関する科学は社会学以外には存在しないのであり,したがって次の場合を別とすれば分野別に独立した特殊科学は認められないことになり,のちにはこの点に関し彼の社会学が総合社会学または帝王の科学と称されるようになる。彼の認めた分野区分は,社会静学と社会動学という区分であるが,前者は社会的秩序の原理を扱うものである。そこでは生物有機体の場合に器管の分化と分化した諸器管のあいだの連体が進行したように,社会でもそれが複雑化するにつれて分業と協同の調和が図られねばならなくなる。社会の構成単位をなしているのは家族であり,そこでは女性が男性に,子供が親に服従するのが自然であって,社会はそのような家族をモデルとしているが,しかし分業化の進行によってつねに調和が乱されるので,政府の統制による調和の維持が必要である。一方社会動学では,3段階の法則に対応して社会の進化は軍事的・法律的・産業的という三つの時期を経過したとする。コントの生きた時代は最後の産業的時期にあたるが,この時期に支配的地位を占めるのは産業家であるとして,人類最後の時期における彼らの指導力を認めたのであった。先に近代自然法諸理論が国家に対する社会という概念を把握したと述べたが,その時代的背景には,中世から近世への転換に伴って国王と貴族に対する市民階級の成立があげられる。彼らの活動は国家による支配秩序の枠組と絶えず軋轢を生じるようになっていたことから,彼らのあいだの協同生活を社会ととらえ,それと国家がいかにかかわり合うべきかを思想的に模索する努力の歩んだ道が近代自然法に始まりコント社会学にいたるまでの段階であった。しかしコントはフランス革命的,おそらく革命時の人々のまったく予想しなかった幾多の混乱のなかに身を置いていたのであり,それが彼の社会学を秩序と調和を重視して,最終的に国家の伝制を承認する保守的結論に傾斜させたと思われる。反面社会動学では市民階級の代表者ともいえる産業家の指導力を認めたのであるが,ただこの点については当時すでに始まっていたブルジョワとプロレタリアートという新たな対立関係を無視したとのちの批判を招いたのであった。
社会学ということばを最初に用いたのはこのコントであったが,彼と並んで社会学の開拓者とされているのはイギリスのスペンサーである。実証主義と同様な経験科学的思考,社会有機体説とそれと関連した総合社会学的立場,進歩の観念と軌を一にする進化論的な社会動態の把握など,彼の社会学はコントのそれと類似する点が多いのであるが,その反面での相違点のうちとくに対照的な点は,コントが国家の統制とそれに対する服従や個人に対する社会の優越性を重視したのに対し,スペンサーは個人の自由・国家の干渉の排除を説いたことである。彼も社会学を社会静学と社会動学に分け,社会動学のなかで人類の進化を軍事型社会から産業型社会への移行と把え,それによって個人は社会から解放されたばかりでなく,社会は個人を擁護することを義務づけられるようになったと説く,コントとはまったく対照的であるが,しかしその後も近代資本主義を積極的に肯定した点ではコントと同じであった。ただコントが服従を,スペンサーが自由を説いていたのは,イギリスではフランスの場合のような革命的な激しい動乱を経験することなく産業社会への転換を果たしたという歴史的事情の相違に関連づけられるのであろう。このように,現在からみればコント・スペンサーのイデオロギー的立場はどのようにでも批判が可能と思われるが,しかしこの二人の開拓者の貢献によって社会学は学問としての基礎を固めることとなり,社会有機体験もしばらくは引き継がれていった。
【社会学の展開】スペンサーのように個人の自由に重点をおく例も含まれるとしても,一般に社会有機体説では社会を個人の総和以上のものであり,したがって個人に先行するものとみなす傾向にある。しかし個人がいかに多く集合している場合でも,集まった個々人のあいだに意識の交流が欠如していた場合には社会は成立しないはずであり,また生物有機体の諸器管とは異なって社会を構成する個人はそれぞれ自由意志ももっている。この点がしだいに意識されるようになって社会有機体説も消滅にむかい,代わって社会の動きを個人相互間の心理的要因から説明する理論が現れるようになる。それをまず代表したのがフランスのル=ボンとタルドであった。前者は群衆の研究で知られており,その心理的特徴として軽信性・被暗示性・衝動性・誇張性・不寛容性などをあげるとともに歴史的変革の原動力となると説き,彼の時代を変革の時代としたのであった。一方タルドのほうは,群衆のように一つの場所に集合してはいないのであるが,同じ新聞や出版物に接している公衆の存在を指摘し,彼らが理性的な判断を下すとみなしている。二人の理論はのちの大衆社会論への布石となったのであるが,同時にまだ動乱が始まらなかったフランス社会と,当時しだいに影響力を増したジャーナリズムの反映として現れたとみることができるであろう。タルドについては社会とは模倣であるとした模倣説もよく知られている。彼は,発明,その模倣,対立する二つの模倣のあいだの抗争,それから生ずる発明とそのまた模倣という循環があり,社会はそのような循環として推移するととらえている。
フランスにおける社会学でとくに偉大な足跡を残したのは,巨星デュルケムの社会学主義と称される社会学説である。彼は社会学の対象を社会的事実と呼んだが,しかしそれは個人の意識を超越した存在であり,したがって個人意識の分析を通じては認識できないものとしてタルドに反対の立場を取る。彼によれば社会的事実は個人への社会的拘束・統計結果および現存する諸種の社会的制度を通じて間接的に認識できるのみとする。このことは彼の『自殺論』を例にとれば次のようにいうことができるであろう。自殺統計の示すところによれば,プロテスタントよりはカトリック教徒に自殺率が高いのであるが,これは,前者が神と個人との直接的結び付きを強調するだけに個人主義的傾向が強く,またそれだけ信者同志の社会的連帯が稀薄化することと関係する。しかし人間は社会と自分との連帯を通じて生甲斐が得られているのであり,自己に依存するだけでは生きる目標を見失い,自殺に走る結果を招くことになる。また戦時中の生活条件の厳しいときと戦後の経済的繁栄のときとの比較では,後者の場合に自殺率が高いのであるが,これは厳しい生活条件の下では過大な欲求を抑制する社会規範が十分に作用しているのであるが,経済的繁栄を迎える時期にはこの規範が崩壊するため,客観的生活水準の向上をはるかに凌いで主観的欲求水準が急激に上昇するようになり,それによって両者のあいだにギャップを生ずるところから繁栄期には却って挫折感に陥ることが多くなって自殺の増加を招くというのである。
以上は自殺統計にもとづく分析であり,それによって社会的連帯の欠如と社会規範の崩壊(デュルケムはそれを「アノミー」と名づける)という社会的事実の認識に辿りついているのであるが,逆にいえば自殺者個人の心理要因や生活状況ではなく,上のような社会的事実によって自殺を説明していることになる。デュルケムによれば,宗教・道徳・経済・法律などすべてこのように社会に関連づけて説明できるというのであり,そのため彼の社会学が社会学主義といわれるのであるが,有機体説はとらないとはいえ社会を個人意識から超越すると理解した点では,彼はコントの継承者であった。のちには彼のこの学説を受け入れたデュルケム学派と呼ばれる多くの優れた社会学者が輩出し,フランス社会学は彼らによって席捲されるようになる。限られたスペースで社会学のごく重要な足跡のみを追うとすれば,次に眼をドイツに転じなければならないが,ここでまずあげられるのは,今日で常識となっているゲマインシャフトとゲゼルシャフトを唱えたテンニースである。人間の意志は気性,長いあいだの馴れや親しみから生じる本質意志と,利害に目的とそれに対する手段を弁別する選択意志に分かれており,前者にもとづいた結合から自然に生成してくるのが,感情融和の社会,あるいはあらゆる分離にもかかわらず基本的には結合している社会といえるゲマインシャフトである。後者からは互いに利益を求めて結合して功利的理知的社会,あるいはあらゆる結合にもかかわらず基本的には分離しているゲゼルシャフトが人為的に形成される。このような二つの型の社会を提示したテンニースは人類の歴史の流れをゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの転換としてとらえている。
次にドイツが残した最大の社会学的遺産として,M.ウェーバーの理解社会学に移ると,彼は社会学を〈社会的行為を解明しつつ理解し,かくすることによって,社会的行為をその経過ならびに諸結果において因果的に説明しようとする科学〉と定義するが,この場合社会的行為とは,行為者が主観的にある意味を感じて他者と関係する行為をさす。つまりウェーバーの社会学では行為者が主観的に感じている意味を理解することが出発となっていることから理解社会学と称される。ところで人間のこのような主観的意味づけとしては,宗教に由来するものが最も中心的位置を占めるはずであり,したがってウェーバーは宗教の違いによる行為の相違にみごとな分析を加えることになる。たとえばカルビン派の教義に則って行為する同派教徒は,教義のなかの予定救護説したがって日常の職業活動に携る場合,その行為の経過として禁欲的合理主義が現れ,結果的には物欲とは無縁のエトスに支えられた近代西欧資本主義の台頭に導いたとして,そのことを『プロテスタンティズムと資本主義の精神』のなかでみごとに説明している。ついで彼は同じ資本主義が何故西欧以外の地域では現れなかったかを明らかにするため,古代ユダヤ教・儒教などについても分析をすすめ,壮大な比較宗教社会学の体系を展開したのであった。このほかに近代合理主義の産物である官僚制および焦点を中世北欧都市にあてた都市類型などの研究と並んで,多様な歴史的事実に幻惑されることなくそれら事実が純粋に現れた場合を想定して構成する「理念型」概念による歴史分析,さらには学問のあり方として研究対象に善悪といった価値判断を加えるべきではなく,それから離れた第三者視点を貫徹すべきであるとした没価値性など,今日においても重視されている諸研究や学問的方法論をわれわれに残したのであった。なおウェーバーが宗教社会学で宗教が経済に与える影響を明らかにしたとき,経済が意識を決定するとした唯物史観への批判を含めていたことも付けくわえておこう。
眼をさらにイタリアに転ずると,ここには経済学者としても優れていたパレートが現れている。経済以外の現実諸要素をより多く研究対象に包摂するほど社会学になっていくとみた彼は,社会を基本的に動かしているのは人間の意識しない非合理的情緒要因ともいうでき残基であるが,ただし人間はこの残基をその正当化された形の派生体として認識していると述べる。つまり社会は合理性を装った非合理性によって動かされていることになるが,パレートはさらに残基にはいくつかの異なった種類のものがあり,そのそれぞれの強弱が時代によって異なるところからエリートの周流が現れることも付けくわえている。
(1/2:続く)
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