●社会科学 しゃかいかがく
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科学とは,経験的諸現象に対する客観的・合理的な一貫した知識体系のことで,狭義には自然事象を対象とする自然科学をさす。社会科学は,科学概念の確立に伴って自然科学を範型として,近代市民社会の成立と軌を一にして登場した,自然科学に対比される科学的研究の総称である。科学である以上,社会科学も客観的・合理的な知識体系の確立をめざしている点では,自然科学と同じ立場に立っている。両者が異なるのは,その対象においてである。社会科学は社会事象,より具体的にいえば社会における人間行動を対象にした科学的研究をさしている。【社会科学と科学分類】自然科学に対比される科学分類としては,社会科学以外にも人文科学・精神科学・文化科学といった名称が用いられることがある。人文科学は,広義には人間性およびその表現とみなされる文化領域全般を対象とする自然科学以外の諸科学,および厳密な意味で科学に入らないような学問の総称として用いられる。狭義には,哲学・文学・歴史学など人間の精神的文化的事象を対象にした学問名称とされ,現在の大学の教科の名称として用いられているのはこの意味である。これに対し精神科学・文化科学という名称は,いずれも19世紀以来ドイツで用いられてきた。ヴント・ディルタイによって一般化された精神科学は,広義の精神的事象を解釈学的方法によって研究する学問の総称で,その基礎には心理学が据えられている。また文化科学とは,リッケルトが科学分類を対象からではなく方法から行ったものである。一般化的・法則定立的方法をとる自然科学に対して,文化科学は個別化的・記述的方法をとるもので歴史学をその典型としている。これらドイツ流の科学分類とその解釈学的方法は,ウェーバーの社会科学方法論にも影響を与えていくが,一般には社会科学を自然科学に対比される科学的研究の総称とすることが支持されている。
【社会科学の個別領域】社会料学は,自然科学とは対象を異にする社会事象に関する科学的研究の総称だと初めに規定した。しかし,この規定はきわめて大まかな最大公約数的なものといわざるをえない。今日の社会科学をめぐる状況はきわめて複雑に錯綜し,その全体像が把握しにくいものとなっている。それは,一つには社会科学の絶え間のない専門分化に,いま一つはその成立以来つねに議論されてきた社会科学の方法論上の問題の双方に求められる。このうち専門分化は,社会科学が間口をひろげ,またその内部でも多様に分化した個別領域を取り込んでいることによるものである。社会科学は社会事象に関する科学的研究の総称で,もともと自然科学一般が存在しないように,社会科学一般も存在しない。社会科学は具体的には,社会事象が生じる人間の社会生活の諸領域に対応した経済学・政治学・法律学・社会学・教育学などの専門分化した個別社会諸科学として存在する。これら個別領域の一つをとってみても,内部でもさらに専門分化がすすんでいる。しかも社会科学のリストには,新しく成立した学問領域をいくらでも付け加えることができるし,最近では心理学や人類学,さらに歴史学までを入れることもある。このように,今日の社会科学は自然科学に対比される科学的研究の総称として,その内部に学問としての発達段階や科学性の水準を異にする専門分化した多様な個別学問領域を包摂する受皿となり,その全体像がとらえにくくなっているのである。
【社会科学の方法論】しかしまた,多様な個別領域が同じ社会科学という総称のもとに一括して分類される限り,そこにはなんらかの共通項が存在することが了解されている。個別領域はいかに多種多様となろうとも,社会科学全般に共通するものの見方・考え方があり,それが社会科学を一つのまとまりあるものとして基礎づけている。この前提があって初めて,社会科学の方法論を論じることができる。社会科学の方法論は,成立期以来つねに社会科学の科学としての地位の存立いかんをめぐって展開されてきた。この場合,科学として比較されるのは自然科学であり,両者が対象を異にするものであるところに方法論議の核心が存在する。自然事象に比べて社会事象,つまり社会における人間行動は歴史的変化の影響を受けやすく,自発性を特徴とする個性豊かなものであるため,自然科学のような因果的法則の定立には困難が伴う。また,自然科学のように認識の主体と客体が明確に区別できず,認識の主体としての社会科学者は同時に客体としての社会の構成員でもあるため,客観的な認識が保証されにくい。こうした点から,対象の違いは方法論にまで及び,人間社会のさまざまな営みである社会事象を対象にして,自然科学と同様の厳密な意味での科学としての社会科学は果たして成立しうるのか。成立するとすればそれはいかにして可能か,という問いが社会科学の方法論上の根本問題となってきた。この問いに対する回答が多様であるところに方法論議の重要性がある。たとえば理念型的方法にもとづき,自然科学の説明的方法に対して理解的方法を対置して独自の社会科学方法論を確立したウェーバーは,自然科学とは異なる方法を用いながら科学として社会科学が成立する基盤を求めた。とはいえ,社会科学の方法論の主流は「有意味的な命題はつねに経験によって証明できるものでなければならない」と言明する実証主義的方法であり,社会事象に対しても自然科学と同様の,またはそれに準じた方法が適用できるとする自然科学的方法論である。この方法こそが社会科学の成立を促し,その後の発達を強力に推進してきた指導原理であった。この立場に対しては,自然科学のモデルを社会科学に適用すれば客観性が保てると信じ,科学によってあらゆる問題が解決できるとする独断的な「科学主義」だとして批判する声も強い。この批判は,科学がそこから離陸した当の哲学の認識論から投げかけられているもので,現代の旗手としてはハバーマスらがあげられる。とはいえ,この実証主義的な方法に依拠する今日の社会科学の一方の最先端での高度な数量化やコンピュータを駆使しての解析が,社会現象について大量かつ複雑な分析の可能性を飛躍的に高めていることも事実である。したがって今日の社会科学の方法論は,行動科学という名称で社会諸科学を再編成する動きにみられるような実証主義的な科学的方法を徹底する方向と,科学哲学の認識論の立場からそれを批判する方向へと向かう二つのベクトルが併存対立する状況にある。
【社会科学の歴史】社会科学の成立は,ヨーロッパにおける中世キリスト教社会から人間を解放した近代市民社会の成立と時期を同じくする。市民社会の新たな世界観の中心を占めたのは,実験や経験による理知的判断の優位性を強調する近代科学で,これは17世紀イギリスを中心におこり近代自然科学を成立させた科学革命の結果であった。社会科学は自然科学の発達に刺激され,新たに成立した近代市民社会を自然科学の方法を適用することによって考察する科学的研究として登場した。社会科学の原型は,18世紀イギリスの道徳哲学・フランスの社会哲学・ドイツの法哲学に求められる。近代自然法の思想にもとづき,社会の自律的法則や秩序基盤の体系的な解明をめざしたこれらは,いずれも「哲学」の名が冠されているように,倫理的実践の内容を合わせもつ社会と人間に関する総合的知識の学としての構想をもっていた。社会科学は,こうした哲学のなかから分化してきたものである。最初に確立されたのは,市民社会を形成するための科学としての政治学であり,つづいて市民社会を解剖し,その秩序を維持するための科学として経済学と法学が成立した。こうした専門分化は,哲学に代わって自然科学の方法論を指導的地位に据えることにより可能となった。自然科学の方法とは,共通性や一般法則を発見するために対象を細分化する帰納的推論の分析方法であった。このため19世紀を通じて,細分化された専門領域ごとに現在みられるような個別社会諸科学が誕生し,法則科学としての社会科学が確立されるにいたる。その一方で,コントやスペンサーが総合社会学の構想によって,またマルクスが市民社会もしくは資本主義社会の批判の科学としてのマルクス主義の立場から,社会科学の総合化をはかる動きもみられた。19世紀を通じての趨勢は,専門分化によって特徴づけられるものであり,このことは同時に,社会科学が当初もっていた総合的視野を失うことも意味していた。20世紀以降の社会科学の発達はめざましく,とくに数量的・統計的技法の革新によって,社会科学は自然科学とならぶ科学的研究に値する地位を確立したかにみえる。20世紀でも初期の研究は,ウェーバ一の官僚制理論やフロイト・ユングの精神分析学・深層心理学に代表されるように理論的で質的な研究が目立つ。これに対し後期の業績は,レヴィ=ストロースの人類学的構造主義を例外とすれば,大半が情報理論や経済成長モデルのように,数量的・統計的技法の革新とか定量分析から導かれた理論である。こうした成果が社会科学に新たな信望と影響力を与えている。その一方で,同じく社会科学をめぐる今日的状況の他方には,こうした社会科学の現状を批判する勢力も有力なものとしてある。それは行動科学やシステム論に代表される今日の社会科学の主流を,従来通りの実証主義や進歩主義の科学観に立脚するものと批判する批判的社会理論の系譜である。われわれは,このいずれの立場をとるか,あるいは両者をいかに止揚するかという課題を担いながら今日の社会科学に向きあわねばならない。
〔参考文献〕高島善哉『現代の社会科学』1974,春秋社
早稲田大学社会科学部学会『新しい社会科学を求めて』1983,行人社
ダニエル=ベル,蝋山昌一訳『社会科学の現在』1984,TBSブリタニカ