●謝安 しゃあん
アジア 中華人民共和国 AD320
320〜385(太興3〜太元10)東晋中期の宰相。陳郡陽家(河南省大康)の名族。字は安石。若いころから聡明で玉導に知られたが,再三の勧めにもかかわらずに仕官せず,会稽(かいけい)に寓居し,書家の王羲之(おうぎし)・沙門の支遁(しとん)らと交わった。40歳を過ぎてから弟の謝萬の失脚をきっかけに仕官した。ときに東晋政権内に大きな勢力をもっていた桓温を抑え,その死後には政権内の中心人物となった。383年(太元8)には華北統一の後,東晋併呑をめざして攻めてきた前秦の苻堅をヒ※注1※水で破り,その功によって太保となった。その際,戦勝の報告が届いたときに客人相手に悠々と碁をうっていたという逸話は有名である。その後,謝安は華北の乱れとヒ※注1※水の大勝の余勢をかって,北伐を計画したが,当時,勢力をもち始めていた会稽王司馬道子の反対にあい,志を遂げずして広陵新城で病死した。死後,太傅(たいふ)を贈られ,廬陵郡公に封ぜられた。謝安は家にあっては詩文や清談を好み,山水の自然美を愛するなど東晋貴族を代表する人物であった。
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