●下山事件 しもやまじけん
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国鉄当局が定員法にもとづく第1次人員整理3万7,000人の通告を開始したと発表した翌日の1949年(昭和24)7月6日早朝,国電常磐線の綾瀬駅付近(東京都足立区)で行方不明中の国鉄総裁下山定則が轢死体となって発見された事件。事件は国鉄労働組合の人員整理反対闘争と関連づけて大々的に報道され,陰惨な性格もかさなって国民に大きなショックを与えるとともに,人員整理反対闘争が切りくずされる重大な契機となった。直後に検察当局は死後轢断と公表,共産党員や労働組合関係者の犯行と発表したため,国鉄労働組合は窮地に追いこまれ,大量の人員整理が実現した。事件自体は自殺説と他殺説が入り乱れ,結局キメテがないまま迷宮入りとなり,1964年(昭和39)に時効が成立した。アメリカ占領軍の下部組織による謀略事件とみる松本清張説(『日本の黒い霧』上,文芸春秋)が有力視されている。
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