●島原 しまばら
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京都の唯一の公式遊女屋のある廓町をさす。1642年(寛永19)7月朱雀野に成立,もとはといえば六条柳町にあったものをここへ移してつくったものである。それ以後は北野・祇園・八坂・清水あたりの茶屋にも遊女まがいの女性をおくようになったが,色茶屋化はきびしく統制されていた。ところが官許の島原は京の町のはずれにあったことから,二条・六条・七条よりはなれ,四条河原の場合と同じく1725年(享保10)ごろには「夜見世」を開業せねばならなかった。昼間から登楼する大尽遊びから,まったく庶民相手になり,それなしには経営不振におちいっている。さらに1732年(享保17)には東北角にあった大門を東西2カ所にもうけ,女にも一人12銭ずつとって見せるようにしている。これも茶屋町の遊里化で客をうばわれたためである。そのためか化政期には曲輪の土塀までくずれ,揚屋町のほかははなはだきたなく,太夫の容姿も祇園におよばぬこととなってしまっている。そして揚屋の数も半減して宝暦には10軒以下になってしまっている。またここに取材したものを島原物,島原狂言ともいう。