●島木赤彦 しまきあかひこ
アジア 日本 AD1876 明治時代
1876〜1926(明治9〜大正15)歌人。本名久保田俊彦,別号,柿乃村人(かきのむらびと)など。長野県諏訪郡上諏訪町の塚原家に生まれ,のちに久保田家の養子となった。長野師範学校卒業。在学中から新体詩を「文庫」などに投稿,1900年(明治33)には新聞「日本」の正岡子規選歌に入選した。1903年(明治36)刊行の「比牟呂(ひむろ)」を,1909年(明治42)「アララギ」に合同させてからは,同人として活躍,とくに1914年(大正3)の上京後は編集責任者となり,多くの門人を育成してこの派の隆盛をもたらした。歌は1913年(大正2)の『馬鈴薯の花』以前,すでに堅実な写生の風を成就していたが,同集と『切火』の時期,近代的な感覚を盛ろうと努めて烈しい動揺期となった。『氷魚(ひお)』『太虚集(たいきょしゅう)』『柿蔭集』はしかし,写生短歌の代表歌集として歌壇的にも大きな影響を与えた。『歌道小見』『万葉集の鑑賞及び其批評』『赤彦童謡集』などがある。