●シーボルト
ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD1796 ハプスブルク朝
1796〜1866 長崎オランダ商館付医師。南ドイツ,ヴュルツブルクで生まれる。1820年ヴュルツブルク大学を卒業し,オランダ東インド陸軍病院少佐に任命され,バタビアに赴任,ついで1823年(文政6)出島付医師として来日した。オランダ医師として人々の信頼を集める。長崎市外鳴滝にて施療と医学教授の塾を開いた。1826年(文政9)商館長の江戸参府に同行し,日本各地の歴史・地理・動植物などの資料を集めた。彼の門人は,高野長英以下多数の蘭学者がおり,蘭学の発展に与えた影響は大きい。1828年帰国(文政11)のさい,禁制品の日本地図持ち出しが発覚し,いわゆるシーボルト事件となり,1年間出島軟禁後,翌年国外追放再渡航禁止の処分となった。帰国後,『Nippon』『日本動物誌』『日本植物誌』など日本紹介の本を多数著した。1858年(安政5)日蘭通商条約により再渡航禁止が解けたため,再度来航し幕府の招きにより,江戸にも居住,横浜・長崎にも滞在した。1862年(文久2)日本を去り翌年ドイツに帰る。ミュンヘンで死去する。長男アレキサンダー・次男ハインリヒも来日し外交・文化などに功績を残した。