●司法権の独立 しほうけんのどくりつ
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行政権から司法権の分離は,1872年の司法職務定制,1875年大審院諸裁判所職制章程・控訴上告手続,1889年帝国憲法および1890年の裁判所構成法の公布等により,制度的には完成していた。しかし,1891年4月に来日中のロシア皇太子が警察官津田三蔵に襲撃され負傷するという大津事件がおこり,青木周蔵外相が駐日露公使と皇太子来日前に結んだ密約問題がからんで,より深刻な対露関係の悪化を憂慮した政府や元老が,超法規的処置によって津田に刑法第116条の条項適用から死刑にせんとして,司法権への介入をはかった。だが,大審院長児島惟謙はあくまで罪刑法定主義の原則を取り入れた1882年施行刑法の条規に従い事件処理をしようとし,大津に開廷した特別法廷の判事に越権と思われる指導を行い行政側と対立した。特別法廷は現行刑法の条規に従い,津田に謀殺未遂の普通刑法適用による無期徒刑の判決を下した。これは,司法権の独立を実際運用上において確認したことを意味する。