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●シベリア

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 ソ連の中核をなしているロシア=ソビエト社会主義連邦共和国に属している地域。ソ連のアジアにおける領土の大部分を占めていて,全領土の2分の1に達する広さをもっている。面積は1,250万平方km。シベリアは西シベリア・中央シベリア・極東に分けることができる。シベリアの気候は大陸的気候であり,寒冷である。たとえば1月の平均気温は南部で−20℃,北東の内陸部で−40℃といった厳しいものである。北東部のベルホヤンスクでは−70℃も記録されたことがあり,“世界の寒極”とも呼ばれている。このような寒冷な気候のため,永久凍土が広い範囲を占めている。北極海沿岸の永久凍土上は,地衣類コケ類・低木のみのツンドラ地帯となっている。その南部では永久凍土上に落葉針葉樹(ダフリアカラマツ)を主体とするタイガがひろがっている。このため,シベリアは森林資源の豊庫となっている。

【歴史】シベリアには旧石器・新石器の時代にすでに人々の生活が展開されていた。しかし,散在的原住民の生活であって,統一国家の形成はみられなかった。13世紀にはジンギス=カンの蒙古に征服されたが,その勢力も徐々に消滅し空白の期間がつづいた。ロシア人が毛皮を求めて侵入を始めたのは,16世紀に入ってからである。17世紀初頭からロシア政府の東征が始まった。ロシア人は原住民の部族社会同士の反目を利用しながら東征を進めてゆき,数十年でシベリアを横断して勢力を確定した。帝政ロシアの支配下におかれたシベリアでは,都市建設・農民の移住が推進された。また,シベリア開発および極東への政治的・軍事的進出の目的で,シベリア鉄道が建設され,1916年に完成した。1917年の十月革命による社会主義政権の樹立に対して,日・米・英・仏・伊は対ソ干渉戦争(1918〜20)を行った。その際には,シベリアは戦場となった。

【産業】帝政ロシア時代のシベリアは第1次産業が中心で工業生産は進展しなかった。1913年にいたっても,工業生産は全ロシアの1.5%にとどまっていた。シベリアの工業化が進展するのは,ソ連の計画的工業化政策の強力な遂行以後である。1920年代末から1930年代にかけて,クズネツク炭田を中核としたクズネツク=コンビナートの形成,イルクーツク・ハバロフスクの機械工業の発展などによって,工業化が進展した。その結果,1940年には工業労働者は100万人を越すようになり,ソ連全体の工業生産に対するシベリアの比重は9%に達した。第二次世界大戦中には,シベリアに多くの企業が疎開し,機械・化学工業部門が強化された。シベリアの工業生産は大戦中に2倍に増え,戦争の遂行に重大な役割を果たした。しかし,第二次世界大戦終了後はヨーロッパ=ロシアの復興に伴い,シベリアの工業生産の地位は低下してきている。1950年代以降のシベリア開発は,資源の開発に中心が移ってきている。これは,ヨーロッパ=ロシアの工業生産に利用する資源をシベリアに依存する傾向が強くなってきたためである。また,ソ連は進んだ機械設備・総合プラントなどを先進資本主義諸国から輸入している。食料生産の不振から大量の小麦の輸入も継続している。これらの輸入代金の支払いに必要な外貨は,石油・天然ガス・木材・金などの輸出によって獲得されている。このような状況から,シベリアの開発は資源開発中心になってきている。実際に,シベリアを中心とするソ連極北の石油生産は,1970年の12%から1976年の38%へと,ソ連全体のなかで占める位置を大きなものとしている。将来計画についても,シベリア天然ガスパイプラインの計画が推進され,日本への輸出が計られている。農業の側面は,シベリア鉄道沿線の春小麦・酪農生産が中心である。現在,停滞状況にあることが問題となっている。

【生活】シベリアでの最大の問題は労働力の確保である。賃金の優遇・生活関連施設の充実に努力している。しかし,西部からシベリアに来る労働者は,契約期間のみ滞在の出かせぎ型であることが多い。