●児童心理学 じどうしんりがく
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発達心理学の一分野で,ときに乳幼児心理学と区別される(この場合はとくに学童心理学と呼ぶ)こともあるが,一般には出生から思春期にいたるまでの精神発達を扱う分野を総称して児童心理学といい,それ以後成人にいたるまでの時期は青年心理学が扱っている。【児童心理学の歴史】発生の母胎としてはコメニウス・ルソー・ペスタロッチ・フレーベルらに代表される近世初期のヒューマニズム・汎愛派の人々がおとなとは異質な児童性を強調し,中世ヨーロッパの強制教育から児童を解放したことがあげられる。とくに18世紀の経験主義的教育論は児童の現実の姿の観察を求め,それに応えて1787年に刊行されたティデマンの『児童の精神発達についての観察』は,児童心理学の最初のまとまった文献といわれ,ドイツ児童心理学の父といわれるプライヤーが自分の子供の出生後3年間の克明な観察記録,『児童の精神』を1881年に発表,伝記的手法を確立するにいたって児童心理学の基礎がかためられた。一方アメリカでも19世紀後半の急激な産業化を支える学校教育の発展のなかで,アメリカ児童心理学の父といわれるスタンリー=ホールが,質問紙法を使った『新入学児の心的内容』を1880年に発表,児童心理学研究の先鞭をつけた。とくにホールは心理学者・教育学者・教師および父母たちの共同研究組織,児童研究協会をつくったが,この運動はたちまちイギリス・ポーランド・ドイツ・フランスなどに広がり,1902年には日本にも児童研究協会をつくらせた。そして1906年にはベルリンで世界最初の児童心理学の国際会議が開かれ,〈児童の世紀〉20世紀が始まった。その後アメリカでは運動の段階から各大学付設の児童研究所中心の心理学者による専門的研究へと移っていくが,とくにワトソンの行動主義の影響もあって実験的研究が盛んとなり,客観主義・測定主義が強調される。そして児童と成人との差を単なる量的差と見,発達を成人への適応過程としてとらえる傾向が強くなり,この点では前述のヨーロッパの傾向とは著しい対照をなしている。一方ヨーロッパではプライヤー以来,実験的内省が不可能な児童心理学はヴントの実験心理学の隆盛におされ影が薄かったが,1940年ごろからたとえばウエルナー・シュテルン・ビューラー夫妻らの優れた研究が出始め,ジュネーヴの研究所ではピアジェが独特の臨床法を開拓して,研究業績をあげた。そのピアジェとヴィゴッキーの論争に見られるように,東欧諸国からも優れた研究が発表されだした。また忘れてならないことは,その多くはまだ検証の段階にあるとはいえ,乳幼児期の体験がパーソナリティ形成に決定的な影響を与えると主張したフロイトが創始した,精神分析学派の世界的規模の影響があげられるであろう。
【わが国の児童心理学】前述の児童研究協会設立に先立つ1895年(明治28)には,医学者・心理学者・教育学者を中心に日本児童学会が設立され,1899年には1941年まで続いた機関紙「児童研究」が発刊されている。またプライヤーの『児童の精神』を寺内頴が1895年に翻訳するというように,わが国の児童心理学に対する反応はきわめて速かった。ついで大正に入るとアメリカに留学しホールに師事した久保良英が帰国後児童研究所をつくり,研究紀要を発刊している。またアメリカのメンタルテストの流行に刺激され,わが国でも児童のための知能検査が標準化されている。さらに昭和に入ると,シャルロッテ=ビューラーが久保良英に,ウェルナーが淡路円治郎に,ピアジェが波多野完治によって解説・紹介されるというように,しだいに活発になる勢いを示したが,それ以後第二次世界大戦にかけては自由主義的教育が圧迫されるとともに,研究も尻すぼみとなった。しかし大戦後はアメリカの影響もあって,児童心理学の研究はきわめて盛んとなり,海外の研究の吸収に忙しかったわが国の学会も,ようやく独自の研究積み上げの段階に入ったといえよう。