●四天王 してんのう
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持国天・増長天・広目天・多聞天をさす。以前インドの護法神であったが,仏教以後は須弥山下四方四州の守護神になった。インドにおいては貴人の姿に,中央アジアを経て中国に入るあいだに武人像で表現されるようになった。わが国においては原則として忿怒形の武装天部像として造られたが,奈良時代以後は表現が自由になり,手足の動作も忿形も著しくなった。甲冑をつけ戟・剣などの武器をもったり徒手で身構えたりしている。定形はなく持ち物もしばしば変わるが,広目天の多くは右手に筆左手に巻物を持ち,多聞天は一手の掌上に宝塔を捧げる。すべて足下に邪鬼(夜叉)を踏まえて立つ。後世,仏教世界の縮図ともいうべき須弥壇あるいは密教壇の四方を守護する形に配置されるようになったが,普通南面の堂の東南隅が持国天,西南隅が増長天,北西隅が広目天,東北隅が多聞天の位置である。多聞(毘沙門)天はしばしば独尊としても祀られ,地天の両掌上に立つものを兜跋毘沙門天という。〔参考文献〕佐和隆研編『仏像図典』1962,吉川弘文館
町田甲一『仏像―イコノグラフィ』1983,岩波書店
倉田文作『仏像のみかた』1971,第一法規