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●幣原外交 しではらがいこう

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 第一次加藤高明内閣〜第一次若槻内閣(1924・大正13)および浜口内閣〜第二次若槻内閣(1929・昭和4)と憲政会=民政党内閣の外相であった幣原喜重郎によって指導された外交政策をいう。米英と協調して中国革命の発展に対処し,軍部の反対を抑えて,ロンドン海軍軍縮条約を成立させて“協調外交”と称される一方,軍部や右翼からは軟弱外交と攻撃された。その背景には,第一次世界大戦後の欧米諸国の中国市場への復帰,中国における民族運動の高揚,国内の経済問題などがあったが,幣原はワシントン体制に沿った対英米協調を基本としながら,中国の合理的立場の尊重,内政不干渉,日本の合理的権益の擁護などをあげ,排日ボイコットの鎮静による中国市場の回復と中国世論の好転による中国での権益,とくに満蒙における特殊地位の維持に努力した。なお,1925年日ソ基本条約,1929年中ソ紛争の調停,中国との関税協定などを推進したが,1931年満州事変によって終わりを告げた。