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●漆器 しっき

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 漆器とは,漆(うるし)を塗った器物を総称していう。椀・盆・膳・重箱などの日常生活用具を主に,それらに蒔絵などの装飾を加えた工芸的なものをさして,漆工芸とも呼んでいる。日常的な漆器は,朱と黒の漆ぬりのもの,素地に生漆(きうるし)を塗ったもので,徐々に蒔絵のような華やいだものとなっていった。

【漆の特性】漆は東洋の特産で,日本・中国・朝鮮・ヴェトナム・タイ・ビルマなど,モンスーン気候帯に植生し,とくに日本産の漆は良質である。外国人が日本をジャパンというのは,漆のことであり,それを原料とする漆器をさして呼んだともいわれる。漆は,漆樹の幹に傷をつけて,漆汁を掻き採るもので,漆酸(ウルシオール)・ゴム・含窒素物・水・揮発性酸の五成分から構成される。漆汁の良否は漆酸の量によって決定され,日本産は多く,とくに大和吉野の漆汁には,85.1%も含み,ほかの産地のものでは,58%弱である。漆には,特殊な性質があり,摂氏25〜30度,湿度75〜85%という高温多湿のもとで,ゴム質状のラッカーゼが作用して乾燥固着する。要するに湿気を吸って乾くのである。いったん乾燥すると,漆としてすぐれた特性をもつ。漆は,できあがりよりも2〜3年と時間をかけて色あいが落ちついていく。こうした漆の特性から,“うるし”は“うるおう”すなわち潤沢ということであるとも,また“うるわし”の転化したものともいわれる。これらの呼称は,漆塗の華麗さからきたものである。

【漆器の歴史】漆には,塗料としての特性のほかに,接着剤・防腐剤として古くから利用されてきた。わが国最古の漆塗りの技術は,福井県三方町鳥浜貝塚より発掘した赤色漆塗りの櫛で,縄文前期のものとされている。縄文晩期となると漆を利用した遺物が多数出土している。青森県八戸市の是川遺跡の藍胎(らんたい)漆器・漆塗飾太刀漆塗弓・漆塗装身具・漆塗土器は最もよく知られている。古墳時代の古墳副葬品のなかにも漆製品がある。また,孝安天皇の代に三見宿禰(すくね)が漆を発見して用い,漆部連(ぬりべのむらじ)の姓を与えられたのが漆工の祖とされている。伝世品としては,法隆寺の玉虫厨子が最古のものとしてあげられ,当時の漆塗りの技術をしのぶことができる。奈良時代には,唐の優れた工芸技術や製品が輸入され,日本漆工の基礎もほぼ確立された。技術の種類も乾漆・漆皮・螺鈿・平文・油色・密陀絵など各種があり,正倉院宝物・法隆寺献納宝物(東京国立博物館保管)によって,当時の優れた漆工芸の一端を知ることができる。平安時代には,奈良時代の各種技法のほかに蒔絵法が発達し,とくに後期には意匠も純日本化し,螺鈿と併用されて独特の美しさを発揮した。また,この時代には建築にも漆工技術が応用され,平等院鳳凰堂中尊寺金色堂はその好例として知られている。平安末期から鎌倉時代にかけては鞍の優作が多く見られ,とくに螺鈿鞍に見るべきものがある。鎌倉時代には,蒔絵の基本的技法がほぼ完成し,漆工芸の主流ともいうべき代表的な立場を築くにいたった。朱漆塗は貴重な塗りとして平安時代から行われていたが,鎌倉・室町時代にはしだいに一般に普及していった。室町時代には,中国の彫漆・沈金・螺鈿などが唐物(からもの)として珍重され,意匠にもその影響が現れ,それを模した堆朱沈金・青貝・鎌倉彫などの新技術も行われた。蒔絵師としては,幸阿弥・五十嵐の両家が将軍家の御用蒔絵師となり,代々業を伝えた。桃山時代は意匠も感覚も非常に新鮮で,近世的な装飾性を表す傾向の漆工芸が輿った。代表的なものが高台寺蒔絵と呼ばれる様式であり,南蛮漆芸という特異な様式も注目に値する。江戸時代初期にいたって,近世的感覚はより洗練され,意匠も豊富で,漆工芸が一般に広く普及するにいたった。本阿弥光悦は当代を代表する一人で独自の様式を打ち立て,江戸中期の尾形光琳によって受け継がれた。江戸時代には京都・江戸に限らず,各藩に優れた漆工家が輩出し,独自の作風を示して名をなした。しかし,江戸後期の漆工芸はしだいに新鮮さを失い,細工物的傾向を帯びていった。こうしたなかで印籠・根付・鞘塗りなどは特殊な発達をみせ,技巧を凝らしたものも多くつくられるようになった。また各藩が産業を奨励し,工人を保護したので,各地方の特色をもった漆工芸が発達し,現在に及んでいるものも少なくない。高松の象谷(ぞうこく)塗,加賀の蒔絵,輪島塗り,飛騨・能代の春慶塗り・会津塗りなどはその一例である。

【おもな漆器産地】現在,わが国には全国的に漆器の産地がある。それらは,中世から近世にかけて成立しいる。鎌倉雕(神奈川)は,源頼朝が鎌倉に幕府をおいたので諸工人が集まり,雕木器を出す。牡丹・梅花・菱・雲形を彫り,黒漆を数回塗り,これに朱漆をもって彩色して仕上けたもの。南部塗り(岩手)は,そのはじまりは不詳。赤塗のものが多い。浄法寺塗り(秀衡椀)は有名。根来(ねごろ)塗り(和歌山)は,紀伊国那賀郡根来寺において製する漆器。1288年(正応元)高野山僧徒がこの地に転住し堂宇造営し,このころより始められたといわれている。椀・膳・豆子・盆などで朱漆で塗る。1585年(天正13)秀吉の攻撃をうけて工人四散し,各地に技術を伝播したり戻って再興したりした。黒江塗り(和歌山)は,1585年根来寺僧徒四散し,当地で下地塗りに渋を用いた渋地椀を製し,また折敷・日用の家什を製す。春慶塗り(大阪)は,和泉国堺浦にて春慶が始めたという伝承を有す。木目の素地の上に透明な漆を塗る。能代塗り(秋田)は,その始まりは不詳。色淡黄にして木質透明とする。能代春慶ともいう。棚・重箱・折敷。若狭塗り(福井)は,その始まり不詳。中国の存星(ぞんぜい)(明の名工)の遺風を模擬し,紅・緑・青・黄・黒の彩漆をもって塗る。タンス・書棚・テーブル・手箱を製出する。津軽塗り(青森)は,始まりは不詳であるが,1670年(寛文10)という説もある。若狭塗りによく似た彩漆。日光塗り(栃木)は,伝承では慶長年間に徳川家康が工人に命じ製したともいうが,始まりは不詳。製法粗であるが質ははなはだ堅い。椀・折敷・盆・木鉢等。吉野塗り(奈良)は,始まり不詳。多く椀をつくる。黒漆で塗り,外面に朱漆で木芙蓉を描く。また吉野膳という折敷がある。日野塗り(滋賀)は,始まりは不詳。多く椀をつくる。輪島塗り(石川)は,根来塗りが応永年間(1394〜1427)に伝わったという伝承がある。朱・黒漆で膳・椀・平皿・壺皿等常用器具を製す。国内はもとより海外に輸出する。当地には,“地の粉山(ジノコヤマ)”という下地専用の良質の土が出る。これが輪島の発展の支えとなっている。象谷塗り(香川)は,寛政年間(1789〜1800)に玉椿象谷が中国の漆器をまねて製出する。その他,多くの産地があるが,大和と紀伊の漆を使用した近畿地方に著名な産地があり,北陸と東北にも古い産地がある。

【漆器の製法】漆樹から採取したままの漆液を生漆という。これをそのまま塗ると乾燥が早過ぎて光沢も悪いので,質を均一にするためによくかきまぜる“なやし”と,水分を蒸発させる“くろめ”の二工程によって精製液をつくる。さらに油や顔料を混ぜてそれぞれの用途に応じた上塗漆・下塗漆・蒔絵用漆・各種彩漆などをつくる。漆工芸はその製作上,素地・塗り・加飾の工程に分けられる。素地には木材・竹・紙・皮革・麻布・金属・陶磁・練り物・合成樹脂など各種が用いられる。なかでも木材が最も多く用いられ,ヒノキ・ケヤキ・サクラ・カエデ・キリなどを,板物(指物)・刳物(くりもの)・挽き物・曲げ物などの方法によって形成する。竹は表皮を取り,適当な幅にして編んだものを用いるが,藍胎(らんたい)と呼ばれ,タイ・ビルマのキンマがこれである。紙は木型に何枚も張り重ねてつくる張抜きと,木の上に紙を張って漆を塗るものとがあるが,一閑張りともいわれる。皮も木型にあてて成型し,漆皮と呼ばれて奈良時代に流行した。麻布を漆で張り重ねる方法は乾漆といい,奈良時代にサイ※注1※,中国では夾紵(きょうちよ)と呼ばれた。陶磁を用いたものを陶漆(陶胎漆器)といい,素焼きが多用される。塗りの工程は,製品の上下によって異なるが,原則として下地・中塗り・上塗りの順に行われる。下地は漆器の整形,堅牢度の増加,仕上げなどに応じて各種の方法があり,漆下地を最上とし,そのほか,にかわ下地・渋下地・のり下地などがある。特殊な下地としては沖縄特有の粘土にブタの血をまぜた豚血下地があり,また,春慶塗などに用いられる透明下地がある。ほかに,アスファルトにテレビンを混ぜるアスファルト下地,松やに・石膏・カゼインなども用いられる。中塗りは,上塗りの効果をよくするために施すもので,上塗りの種類によって異なる。また下地を終わって中塗りを施す前には砥石で,中塗りが終わってからは木炭で研いで上塗りを施す。上塗りのおもなものは,花塗りと蝋色(呂色)塗りとである。花塗りは油分を含んでいる上塗り漆を塗るので,そのままで光沢を発する。呂色塗りは油分のない上塗り漆を塗って乾かし,木炭で研いで摺り漆をし,種油と角粉(つのこ)をつけてみがく。その他,春慶塗りのように素地の木目を表す透明塗りや変わり塗りがある。加飾は絵画的方法・彫刻的方法・嵌装貼付法の三種に分けられる。絵画的方法には漆で文様を描き,金属粉や色粉を蒔きつける蒔絵,色漆で文様を描く漆絵があり,金銀箔をにかわで溶いて描く金銀泥絵や,密陀絵(密陀僧という乾燥剤を用いる油絵の一種)も多い。彫刻的方法には,漆を塗り重ねた面に文様を彫る堆朱(ついしゅ)・堆黒などの彫漆塗り,漆面に文様を線刻して金をすり込む沈金,木彫りの上に朱漆や緑漆を塗った鎌倉彫りなどがある。嵌装貼付法には,貝殻を文様に切って漆面にはめ込んだり張りつけたりする螺鈿(らでん),金属片を使う平文または平脱,金箔を使う箔絵などがあり,さらには玉・牙・象も使う。沖縄独特のものとして堆金もある。

会津塗りの特色】会津塗りは,会津若松市と喜多方市を中心に生産している。素材となる豊富な樹木と,歴代藩主の漆樹栽培奨励と漆器産業の保護奨励に努めてきた。1590年(天正18)の蒲生氏郷公会津入部に際し,近江国日野より木地師や塗師を若伝・喜多方に招き,日野椀の製法を伝えたのが,産業としての会津塗りの始まりであるといわれる。文明年中(1469〜1486)の記録には,それ以前に木地挽がいたという。会津地方の数々の古代仏教文化の仏像には,漆が使用されていることからも,会津塗りの歴史は占いものといえよう。会津塗りは,技術的には渋下地塗りと呼ばれる,柿の渋を下地に塗るのを特徴とする。また,蒔絵などの高度な技法も江戸時代に入って取り入れられるなど,一般的に素朴なものであった。すなわち,会津塗りは実用的であること,一般に求めうる価格であることなども特色であった。会津漆器は江戸末期から高級化していった。また会津塗りは,会津藩の強い制約のもとで育ってきた。その柱は二つで,一つは〈商品生産は町方で行うべきで,中間生産物は別として,在方では行わないこと〉,二つには〈作る者,売るべからず,売る者,作るべからず〉の商工分離策であった。これは他産地に類を見ない,“問屋主導型”の産地として発展し性格づけられてきた。次に技法上の特色について述べる。会津塗りの下地の代表的なものは,渋下地と錆下地である。渋下地は会津塗りの代名詞的なものである。柿渋に炭粉・松煙または油煙を混ぜ合わせたものを,みご箒を使って塗りつけては研ぎを繰り返した後で柿渋を塗る。渋下地は錆下地より下地が厚くないので,上塗り後2〜3年すると上塗り肌にヤセが生じ,独特な味が出る。錆下地は,生漆に砥の粉を混ぜ合わせ,これを塗りつける。平滑で丈夫な下地である。上塗りは,花塗り・きじろ塗り・金虫喰塗りのいずれかによる。会津塗りの花塗りは,鶏卵の白味を漆に混合している。これにより,漆の流れ・ムラ・チヂミなどが防げ,ボッテリとした独特の塗り肌となる。きじろ塗りは,木目を生かした塗装法で他の産地では上塗りをきじろ漆で塗り,研いで呂色仕上げにする。これに対し会津塗りでは,上塗りを朱合漆で透漆の塗り立としている。塗り立なので塗膜が厚いから木目が奥に深く沈んでみえる奥ゆかしさがある。金虫喰塗りは,呂色漆を塗りすぐに籾がらまたは大麦を全面に手蒔きし,乾燥の後,蒔いた籾がらを篦で取り除く。次に生漆を布で摺漆をし,消粉を蒔いて乾燥。後,透漆をムラなく刷毛塗りして,十分乾燥後,炭研ぎして呂色仕上げとする技法。吸い椀・膳・盆・重箱または仏器などにも幅広く利用されている。加飾法では,蒔絵・錦絵・会津絵・沈金などがある。会津塗りでは,室町時代までは塗りの上に絵を描くことは行われていなかったらしい。1669年(寛文9)の記録では,蒔絵師二戸とあり,江戸初期ごろから蒔絵の技法が入ったようである。普通,漆器に絵を描けば蒔絵と呼ぶが,専門的には金粉・銀粉を使った加飾だけを蒔絵といい,朱・弁柄・石黄・青光などの顔料を混ぜた彩漆で描いたものは,漆絵または彩絵と呼ぶ。会津漆器の技術的特徴の一つに,この漆絵がしだいに盛んになって後に,京都から消蒔絵の技術が導入されたときに,会津は消蒔絵の産地に変貌しきわめて短期間にこれを消化したことである。それが明治維新ころの,全国で最も蒔絵師の多い産地をつくりあげていたことに象徴されている。

【漆器の推移】こうした高度の技術と製作に長い時間を費やす漆器は,高価なものであった。農家などでは,今日でも何十人分の椀・皿・膳などを揃え,祝儀などに饗応するのに用いられている。このような高価な漆器を揃えるのは大変であり,地方によっては講をつくってお互いに購入し合っていた地方もある。また,各地に伝承されている“椀貸しの伝説”も,こうした背景を今日に伝えている。村はずれの深く水をたたえた渕に住む主に,法事などで大勢の客を招くとき,膳椀など何人前が入用と沼の主に頼んでおけば,前日には頼んだ分だけの必要な膳椀が渕の岸辺に用意されている。これをある者が借りた分だけの膳椀を返さなかった。これを怒った沼の主は,それ以来膳椀を貸してくれなくなったという内容である。漆器は,日常の器として木の椀などを主にしていた。それは黒塗り椀もしくは生漆の素朴なものであった。それが明治から大正にかけての磁器の発達と,鉄道の開通に伴い磁器の全国への普及により,食器類は磁器へと一変していった。そして漆器は,婚姻・葬祭など非日常的なハレの日にのみ使用されるようになった。

 また樹木の減産と,プラスチックなど合成樹脂の開発に伴い,急激にプラスチックなど大量生産化の時代もあったが,今日においては伝統技法による木製漆器が生産の主流をなしている。

〔参考文献〕『伝統の美 漆器』世界文化社

『会津漆工芸への案内』鈴武漆器工房

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