●シチリア王国 シチリアおうこく
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ノルマン人が地中海に進出し,1091年最後の回教徒の城塞ノートを陥落させたのち,ノルマンの指導者ルジェロ一世は“シチリアとカラブリアの伯“という肩書きを教皇から得ていたが,その息子のルジェロ二世がチエプラーノからシチリアに支配を拡大したとき,1130年対立教皇アナクレトゥスから,ついで1140年インノケンティウス二世からシチリア国王の王位を確認された。そこで,シチリア(プーリアを含む)王国の名称が以後使われるようになった。シチリアの晩鐘事件でアンジュー家のフランス人が同島から一掃され,ナポリ中心の南イタリアがアンジュー家に残され,島はアラゴン家の支配に移る。このときトゥリナクリア王国と呼ばれていたが,1443年にアラゴンのアルフォンソ二世がナポリ王位も兼ねたので,以後“南シチリア王国“と呼ばれる。