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●下着 したぎ

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 肌の上に直接着る肌着のほか,すぐその上に着る衣服で,表着を除いたものを総称していう。上着に対する語として用いられる。下着は,上半身に着装されるものと,下半身の腰部以下につけられるもの,上下が続いているワンピース式のものに分けられる。その機能は一般的に保温と服の汚れを防ぐことであるが,そのほかに,吸温(肌着),服の形を整える(ファンデーション),服のすべりをよくする(ランジェリー)の三つに分類して考えることのできる機能があり,それぞれの機能を特徴的にいかした下着がある。肌着はいうまでもなく,アンダーシャツ・ブリーフ・ショーツ・パンティ・襦袢・褌など。ファンデーションは,ファンデーション=ガーメントの略で,コルセット・ブラジャー・ガードル・オールインワンなどがあり,文字通り服の土台となる下着である。ランジェリーは,広く下着類の総称であるが,狭義にはスリップ・ペチコート・カミソールなどの下着のことをいい,パジャマ・ネグリジェ・ナイトガウンなどを含めていわれることもある。ランジェリーはフランス語で本来麻製品のことを意味し,かつて婦人の下着がほとんど麻でつくられていたことから,婦人用下着のことをさすようになった。

【西洋における下着の歴史】下着が表着以外の衣服とすれば,重ね着の始まりが下着の起源ということになる。重ね着の始まりは,古代エジプトの中王国時代(前2065〜1660)といわれ,男性服でくるぶしまで届く長い腰布をつける際,下に短い腰布をつける習慣があったことが知られている。また,古代の重ね着としては,古代ローマ時代のものがよく知られている。麻でできたチュニック(トウニカ)の上に,女性ならストウールとパラと呼ばれる布をまとい,男性ならトーガと呼ばれる布をまとったのである。さらに,袖のあるチュニックを何枚も重ねて着ることもあった。この下着にあたるチュニックはカシミアと呼ばれ,今日のいわゆるシュミーズの始まりと見られる。しかし古代エジプトでは短い腰布だけをつける場合もあったし,古代ローマのチュニックも本来は室内着であって,現代の下着のように分明なものではなかった。ファンデーションとしては,前12〜13世紀のクレタでコルセットに相当する詰め物をした幅広いバンドが,衣服の上からではあるが,男女ともに使われていたといわれる。古代ギリシアでも婦人は細い布をまきつけてブラジャーのように胸をととのえていた。

 2〜3世紀のころになると,当時のダルマティカといわれる衣服の下に長いぴったりした袖のついた下着を着用するようになった。これは古代ローマ時代のチュニックが原型となって下着として用いられるようになったもので,中世を通じて用いられた。14〜15世紀になると,フープランドと呼ばれる袖口の大きなガウンが流行したため,下着の袖口に飾り布がつけられた。17世紀に入って婦人服の袖が短くなると,それにつれ下着の袖も短くなり,レースやリボンがつけられて表着のえりもとや袖口を飾るようになったが,表着の袖が長くなると,下着の袖は逆に短くなり,ひもつきシュミーズの形になった。男性用下着も17世紀のころは婦人用同様,飾りの役割をしていたが,しだいに表着の袖が細くなると,下着の袖も細く胸の飾り布も少なくなってきた。19世紀に入ると今日のワイシャツ形になった。男性のズボン下は14世紀ごろから着用された。婦人の場合はアンダースコートが使用されていたが,16世紀にイタリアの貴婦人が乗馬のためズロースを用いはじめた。しかしこれは装飾も兼ねたもも引き風のもので,一般に着用されるようになったのは19世紀に入ってからである。体型を整えるための下着は,16世紀に婦人のスカートを広げるためフープや鉄製のコルセットが用いられるようになる。最初のフープはファージゲールと呼ばれ,16世紀半ばにスペインで鐘形のものが流行し,フランスで輪形のものが流行したが,17世紀にはすたれた。18世紀,ロココ−スタイルの時代には,スカートの両脇をふくらますためパーニアという針金や鯨骨で組まれたフープが用いられるようになった。フランス革命によってこのスタイルは姿を消したが,1850年ころからクリノリンと称する籠のような形をした針金や鯨骨のフープが登場した。19世紀末期からスカートの広がりがなくなると,腰部を整えるパッスルに代わり,ブラジャーも普及した。20世紀に入るとゴム布を使った柔らかく運動が自由なガードルができた。スカートの下には紗やサテンを使ったペティコートを着用するようになった。女性の社会進出が著しくなると,活動的で合理的な下着が生みだされ,組み合わせも自由になり,今日ではその種類が非常に多くなっている。

【日本における下着の歴史】褌は古くはミクロネシアなどで用いられてきたものだが,日本では古墳時代の埴輪で着用が確認されている。おそらくもっと古い時代から用いられていたものであろう。古くは「たふさぎ」などといわれ,麻でつくられていたが,江戸時代以降は木綿が主に使われた。褌の最も古い型はもっこ褌で,越中褌は細川越中守忠興(1563〜1645)の考案といわれ,六尺褌は慶長年間(1596〜1614)から普及した。また古代においては股引型の下穿きもあり,もっこ型の褌とともに男女両用であった。股引の語は,室町時代から見られる。婦人の腰巻は「湯もも」と呼ばれ袴のすたれてきた平安時代からつけられるようになり,二幅(ふたの)・脚布(きゃふ)ともいわれる。江戸時代末期からはさらにその上に蹴だし,裾よけと呼ばれる腰巻きを用いるようになった。

 和装の場合は,表着と同形態・同仕立てのものを下着として重ね着する。三枚重ねて着用する場合など,表着の下に着ているものを中着,間着(あいぎ)と呼び区別することもある。平安時代には単衣という同形態のものを何枚も重ね着し,えりもとや袖口の色の合わせ具合を楽しんだ。現在ある「きもの」は小袖と称され,古くは庶民の労働着であったが,平安時代末期に貴族の肌着となり,室町時代には再び表着となった。そこで現代の和装の肌着である襦袢(じばん・転訛してじゅばんともいう)が下着を代表するようになった。襦袢の名称はポルトガル語のジバオ(チョッキ風上衣の意)からきていると言われるが,その起源は古く,ポルトガルと交易が始まるかなり以前より着用されていた。現存するものでは奈良時代のものが東大寺にある。これは汗衫(かざみ)といわれ,汗取り用の短衣である。これが発達し,襦袢の形になったと考えられる。江戸時代中期以降は下着に金をかけぜいたくをする習慣が生まれ,豪華な長襦袢や緋縮緬の褌を着用する者も現れた。これは当時,厳しい服装の統制がしかれ,裕福な庶民は下着に高価な品を使うことで楽しむほかなかったためである。なお,ファンデーションとしての下着は日本ではおこらなかった。 明治以後,洋装の普及に伴って下着もしだいに洋風化されていった。古来の股引が洋装の影響を受けてできたのが「さるまた」。洋装の下着から考案されたものが「すててこ」である。婦人用の洋風下着は男子より遅れて普及し,ズロースが着用されだしたのは1920年代に入ってからで,関東大震災や1932年(昭和7)の東京の百貸店白木屋の火災を契機として,都市部を中心に普及していった。しかし,洋装の下着が全国的に定着したのは,男女とも第二次世界大戦後のことといえる。現在は和装の下にもシャツやシュミーズなどが併用されている。

【着装の方法と種類】現在は,暖房設備が発達したため,保温を目的に下着を何枚も重ねることが少なくなった。下着は上着の性質をいかす土台としての役割に重点が置かれている。下着の材料はもめん・人絹・ウール・ナイロン・ポリエステルなどの合成繊維が主流。上着の素材や着用の季節・目的によってそれぞれ使い分けられているが,その使い方も多様化している。