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●地蔵盆 じぞうぼん

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8月23・24日に行われる地蔵尊の供養。地蔵会・地蔵祭・地蔵の縁日とか、アト盆・送り盆・ウラ盆という所がある。陰暦7月23・24日に行われてきた行事で、ことに近畿地方では現在でも広くみられ、子供たちの夏休み最後の楽しい行事となっている。

地蔵信仰と盆】地蔵の縁日は24日である。989年(永祚1)編の『地蔵菩薩像霊験記』には24日を地蔵の日とする記事がある。平安末期の浄土信仰や末法思想の高まりのなかで、地蔵が地獄に堕ちた衆生を救済してくれる菩薩として信仰を集めた。『今昔物語』には地蔵の霊験性を説いた説話が多くあり、また京都の祇陀林寺で仁康という僧が地蔵講をはじめたと記す。『濫觴抄』には1167年(仁安2)10月に六波羅蜜寺で初めて地蔵会を行ったとある。このように平安末期に地蔵講とか地蔵会が行われていた。中世になると、治病・息災などの現世利益をもたらすホトケともみなされるようになる。『沙石集』(巻第2の5)には「地蔵の看病したまふ事」という項があり、〈比の菩薩ハ機根ノ熟スルヲモマタズ、臨終ノ暮トモイハズ、鎮ニ六趣ノ衢ニ立、旦暮ニ四生ノ族ニ加リテ、縁ナキ衆生スラ猶助給フ〉とあり、若い僧に身を変えて、看病したことが記されている。そして〈地蔵ハ六趣四生ノ苦ヲ助ケ給フ。諸仏菩薩ノ利生ニ勝レタリ〉と述ベ、六道世界のいっさいの生物の苦を救い、諸仏菩薩のなかで一番衆生を利益することにすぐれているとする。現世利益・後生安楽を求める人々は当然地蔵信仰を高めていく。盆が生きた人の魂を再生強化する機会であり、死んだ人の霊を供養する時期であったので、地蔵信仰とたやすく結びつくことになった。7月は1カ月が盆月であり、ことに24日は地蔵の縁日であるから、ことさらこの日を地蔵盆と称するようになった。1676年(延宝5)編の『日次紀事』には、7月24日の条に加茂御泥地・山科・伏見・鳥羽・桂・太秦の六カ所に〈六拠地蔵詣〉をする記事がある。また同書同日の条に、〈洛下童児地蔵祭、洛下児童各街衢の石地蔵に香華を供え、これを祭る〉とある。

【地蔵盆の内容】近畿地方では8月23・24日の両日に地蔵の前で子供を中心にした行事をする。子供たちが米・野菜・西瓜などを各戸から集めて供えたり、地蔵を水洗いして清めたり、化粧を施す所もある。この日百万遍数珠くり、盆踊り・六斎念仏をする所もある。子供組が男女に分かれて男の子の地蔵・女の子の地蔵をそれぞれ祀る例もみられる。守山市木浜町では8月23日には、子が生まれてはじめて迎える地蔵盆に、赤子の名前を記した提燈を地蔵に奉納し、米・ウリも供えて子の成育を祈る。また滋賀県甲賀郡土山町青土では、8月24日にはじめて盆を迎えた死者の家の盆提燈を地蔵堂に集めてお経をあげ、菩提をとむらう。同町山女原(あけびはら)でも初盆の家の燈籠を23日に地蔵堂へ集めて掛けてのち、夕方焼く、24日にも詠歌をあげ、子供が遊びにくる。このように子供の成長と死者の往生をともに地蔵に祈る行事となっている。この日六地蔵めぐりをする風習も伝承されている。滋賀県甲賀郡水口町牛飼では、新仏のある家は8月23日を中心に郡内の六体地蔵(牛飼・新治・三大寺・内貴・深川・寺庄)に参る。近江には家の庭に石地蔵をまつる例が多いが、各戸の屋敷地蔵を巡る“地蔵めぐり”の風習が今もある。この日が先祖祭りの重要な日であることは、近江八幡市沖島の地蔵盆でもうかがえる。8月24日に屋敷の地蔵を座敷の仏壇の横にすえて団子や野菜などを供え、周囲に五色の紙に「南無阿弥陀仏」あるいは死者の姓名を記したものを幾条もたらして飾りつけてまつる。京都洛北の地方では上げ松明を8月23日にする。長い棒の先端につけた籠のなかに、松明を投げあげて点火する行事であり、この行事を愛宕山への献火としているが、愛宕山がこの地方の死祖霊のこもる霊山とみなされていた形跡があるので、上げ松明は盆に来訪した精霊の送り火と考えられる。

〔参考文献〕圭室諦成『葬式仏教』1964、大法輪閣

五来重編『講座日本の民俗宗教2』1980、弘文堂

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