●地蔵信仰 じぞうしんこう
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地蔵は仏教でいう菩薩の一つであり,梵名をクシティガルバハ,あるいはクシャーハラナという。クシティは大地・地霊を意味し,ガルバハは童児・神児を意味するが,元来インドで存在していたものかどうかは不明である。日本では平安時代後期に末法思想が広まり,浄土信仰が台頭してから,地蔵信仰が貴族のあいだで広まった。死者が冥土に赴いて地獄の閻魔の裁きを受けて,ひどく苦しむのを救ってくれる存在と考えられたからである。この地蔵の性格は『地蔵菩薩霊験記』『今昔物語集』などの冥界蘇生譚にもうかがわれるが,毎月24日を縁日として地蔵を念じ,その名号を唱えて西方浄土への極楽往生を祈願したのである。これを地蔵講と称するが,その原型は地蔵悔過や地蔵会であった。民衆のあいだに地獄・極楽思想が浸透する中世以降になると,地蔵講の結成はきわめて多く見られるようになる。そして,右手に錫杖,左手に宝珠をもつ地蔵の姿に一定化していくのも中世にかかる時期にほかならない。このころになると,地蔵が現実界と異界の境に立って,冥界にいくのを救ってくれるといった性格が強調されるが,それはもともと大地の神であるゆえ,地下世界において地獄に堕ちる衆生の済度にあたると信じられたからである。こうした現実界と冥界の境に立って救ってくれるという性格が,現実世界の境に立って守ってくれるというふうに拡大され,境の神・塞の神,すなわち道祖神としての性格をもつにいたる。村や町の入口,そして峠などに地蔵が祀られているのもそのためにほかならない。今日でも毎月24日は地蔵の縁日として各地で何らかの行事が執行されているが,とりわけ8月22日〜24日は地蔵盆と称して盛大に祭られている。地蔵堂や辻の地蔵像を清め,餅・果物・野菜等の供物をし,また灯籠を数多く掲げた上で百万遍の数珠を繰ったりさまざまな余興を催したりしている。近畿を中心に西日本各地では,石の地蔵のお身拭いをして化粧をする風もある。これを化粧地蔵という。最近,地蔵を祀っていない町内・新興住宅等で,地蔵盆を通じてコミュニケーションを形成しようとの意図のもとに,地蔵像を借り受けて祀るという,レンタル地蔵が京都を中心に流行している。地蔵盆はもともと地蔵講や念仏講などの管轄下にあったが,戦後おおむね村組単位で祀られるようになり,最近では子供の行事として定着しつつある。今日伝えられる伝説のなかにも,地蔵が童形に化身して菩薩を救ってくれたという話が多いように,地蔵はとりわけ子供の安泰を守ってくれると信じられている存在だけに,子供が主体となっていくべき素地はあったといえよう。地蔵盆は,地蔵信仰が盆の魂祭りと結びついて盛況をきわめたものだが,たとえば京都府亀岡市曽我部町では,旧六カ村に一体ずつ地蔵が祀られており,地蔵盆には各村で祀るほか,新盆を迎えた六カ村の家々では,曽我部の六地蔵巡りを少なくとも3年は続けるという興味深い風習が見られる。ここにはもう一体地蔵があって1年毎に六カ村を巡行しており,これを回り地蔵と称している。回り地蔵とは,地蔵が檀家や講中の家々をつねに回っていくことから名付けられたもので,東日本に濃厚な慣行といえよう。ほぼ18世紀以降,疫病の流行を契機に,その鎮静を願って始められたものが多い。また,山形県の立石寺を初め各地に地蔵車(菩提車・後生車ともいう)を見かけることができる。これは四角い石柱のやや上部に細長い穴をうがち,なかに車をはめ込んで回転できるようにしたものである。上のほうへ回せば現世の願いが,下のほうへ回せば後世の願いがかなえられるといわれる。しかし,その分布とこの風習のもつ意味についてはまだ充分に解き明かされていない。このほか地蔵を乗りうつして託宣を行う,あるいはそれが童戯化した地蔵憑け・地蔵遊びと称する特異な習俗が関東北部から東北にいたる地域に見られる。いずれにせよ地蔵は最もなじみ深い存在だけに,その信仰形態はきわめてバラエティーに富んだものとなっている。〔参考文献〕桜井徳太郎編『地蔵信仰』1983,雄山閣
真鍋広済『地蔵菩薩の研究』1960,三密堂書店
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