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●自然(的)宗教 しぜん(てき)しゅうきょう

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 自然的宗教と並んで自然宗教という用語がある。自然宗教は自然崇拝と関連し,一般に原始宗教・未開宗教に表れる信仰形態で自然的宗教とは異なる。しかし,自然的宗教が自然宗教と日本語訳されて使われる場合もあり,用法上の混乱を招きやすい。そこで本項目の主題のためには自然的宗教をあて,自然宗教とは名称上区別をたてておく。自然的宗教と自然宗教は概念が異なるが,共通点もある。両者はともに啓示宗教ないし制度宗教とは対立し,キリスト教に代表されるような人格神の観念や教会のような特定信者の集合体をもたない。とりわけ特別の教理上のイデオロギーを強調しない点で似ている。しかし歴史的にみて,自然宗教が一般には啓示宗教以前の形態と考えられるのに対して,自然的宗教は啓示宗教への批判として生まれた。また,自然宗教が自然物・自然現象に関する呪術的ないし感覚的な崇拝にもとづく宗教形態であるのに対し,自然的宗教は人間の生得的自然的理性を基本におく宗教で,啓示宗教の唱える奇跡や摂理・恩寵などを認めない点に特徴がある。自然的宗教の流れは,そのルーツを探れば歴史をさかのぼることができるが,独自の輪郭をもった思潮として登場するのは宗教改革以降であり,とくに17,18世紀のイギリスにおいて“理神論(りしんろん)”として花開いた。

理神論の成立】理神論の祖はチャーベリーのハーバード(1583〜1648)である。サーバードは真理は万人の共通観念で,人は真理認識の能力である理性を与えられているから,それを正しく使用すべきであると説き,信仰の問題についても理性を基準とする原理を掲げた。彼はあらゆる宗教に共通の条件として,[1]最高神の存在,[2]礼拝,[3]礼拝の基本としての徳と敬虔,[4]悔い改め,[5]現世と来世の報いという五命題を立て,これ以外は宗教に必要なしとした。ハーバードを継いで,ブラウント・ティンダル・トーランド・コリンズと理神論は発展し,超理性的なものを宗教から排除する方向に徹底していった。ティンダルの『キリスト教は創造とともに古し』(1730)は理神論のバイブルと称されている。理神論は神の存在を認めるが,しかし世界の創造者としてであって支配者としてではない。ひとたび創造されたあとは,世界は自律的自己展開を遂げる。超自然的要素は必要なく,信仰は理性の範囲内に限定された。合理主義的・自然主義的な立場からキリスト教の啓示的論拠は取り除かれ,純粋に道徳的な内容だけが宗教の中身となっていった。同時代の哲学者シャフツベリやヒュームも,直接の継承者ではないとしても理神論が生んだ自由思想の影響下に立って自己の哲学を建設している。

理神論の展開】理神論はイギリスからフランスとドイツに輸出された。フランスでは理神論啓蒙思想と結んだ。百科全書派ディドロは,初めシャフツベリ道徳哲学を通じて理神論を受け入れるが,やがて理神論の有神論的性格を脱却して無神論・唯物論へと転進していく。ヴォルテールおよびルソーもキリスト教思想と教会権力への批判・反発をばねとして,理神論の系譜に連なる宗教観を構想した。ドイツにおける代表者はライマールスである。レッシングの手で刊行された彼の遺稿集は奇跡と啓示を退け,聖書の記述を大胆に批判し,多大の衝撃を写えた。カントの宗教論も理神論の流れに沿っている。代表作『単なる理性の限界内における宗教』(1793)はカントの立場が人間主義に立脚し,“理性宗教”であることを明らかにしている。ただしカントはキリスト教を排撃せず原罪の教えを認めている。理神論の系譜が自然的宗教を論ずる際の基調であることには変わりはないとしても,概念を拡大してより広い領域を包摂しようとする考え方もある。この場合にはシュライエルマッハなど,人間の素朴な感性や体験に自然の姿をみる立場も自然的宗教の流れのなかに組み込まれることになる。