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●自然経済 しぜんけいざい

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 自然経済という用語は,ヒルデブラントの1864年の論文“Natural wirtschaft,Geldwirtschaft und Creditwirtschaft”に始まる。しかし,この概念は,ドイツ歴史学派経済学を中心に展開された“経済発展段階説”において,ほぼ共通的に経済社会の段階的発展の初期段階に位置するものとして措定されたものである。しかし“自然経済”の意味内容に関しては,前期歴史学派を代表するヒルデブラントと,後期歴史学派の巨匠ビュッヒャーとでは,以下に述べるように若干異なっている。

 ヒルデブラントは,社会経済の発展段階を,交換様式を基準にして,自然経済(現物経済)→貨幣経済(国民的生産諸力・国民的資本・国民経済の本格的発達)→信用経済(調和的社会有機体の形成)という図式で構想した。彼のいう現物経済とは,自給自足を意味するものではなく(この点がビュッヒャーと異なる),現物交換をも含むものであるが,現物交換の意味は広く,たとえば社会体制としての封建制を象徴する領主と農奴との関係も,土地と貢納との現物交換と解釈されている。ヒルデブラントの〈自然経済→貨幣経済〉の図式は,のちに彼の本来の意図から離れて,資本主義発達の原動力ないし推進力を,自然経済から貨幣経済への転換に求めようとする考え方に結びついたこと,つまり彼の発展段階説がそのまま資本主義発達の原理に転用されたことから,経済史学界の一大論争が展開された。まず上記の転用を徹底させたのが,後期歴史学派のブレンターノである。彼によると,世界史上,どの時代においても,それぞれ自然経済から貨幣経済への移行傾向が見られ,その変化に応じてどの時代においても商業と金融が栄え,それを基盤に利潤の追求,つまり資本主義の展開が開始された。そして商業化と利潤の追求を推し進める人間の営利欲がついにあらゆる束縛から解放され,その結果,資本主義は社会の生産的基礎をもとらえることになり,ここに近代資本主義が完成したと見る。つまり資本主義なるものは,歴史上,直接的消費欲望の充足を目的とする自然経済から,まず商業資本(および高利貸資本)の発展の形をとって現れ,その発展の結果として資本が生産をも支配して産業資本となって資本主義が完成するという,歴史学の通説的見解の根拠となった点に,この発展段階説の意義が見出されたのである。しかし,資本主義発展に関する見解はともかくとして,自然経済→貨幣経済という図式自体が,そののち,史実との関連において難点をもつことが指摘された。たとえば古典古代の奴隷制の基礎の上に登場した商業資本や高利貸資本は,その発展によって資本主義的生産様式とは逆に,再び奴隷制の再編成に回帰し,奴隷制の崩壊後,古代商業はいったん消滅せざるをえなかった。したがって古代から中世への移行は,貨幣経済から自然経済への復帰という逆現象を呈したことになる。これを敷衍(ふえん)して,ドプシュは,自然経済と貨幣経済とは,通史的に別々の段階を画するものではなく,世界史の各段階に並存したものであると説く。さらに加えて,彼はローマ末期,カロリング王朝期,16世紀末のドイツ,第一次世界大戦期には事実として貨幣経済から自然経済への逆行が見られたことを指摘した。〈自然経済→貨幣経済〉の図式に対しては,M. ブロッホも専門の貨幣史の立場から批判を加えている。

 これに対して,ビュッヒャーは,生産物が生産者から消費者に届くまでの距離を基準にして,封建的家内経済(古代)→都市経済(中世)→国民経済(近代以降)(パーレンは筆者による)という発展段階説を構想したが,この前二者が一定の領域内での自給自足経済であるところに着目して,これを自然経済と解釈する見方がある(マルクス・レーニン)。都市経済とは農業と手工業との分離であり,したがって中世農村と都市との分化の基礎の上に商品交換が行われてはいるが,いまだ消費者の欲望に直接に規定された〈顧客生産〉の段階である。そこでビュッヒャーの初期の二段階を〈需要充足経済〉(ゾムバルト)とし,これを“営利経済”と区別したうえで,営利経済即資本主義と等置することによって,ビュッヒャーの発展段階説もまた資本主義発展の原理に転用されることになった。こうして,上述の資本主義発展論争に巻き込まれていくことになる。

〔参考文献〕大塚久雄編『西洋経済史』1968,筑摩書房

大塚久雄・高橋幸八郎・松田智雄編『西洋経済史講座第I・II巻』1960,岩波書店