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●自然科学 しぜんかがく

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 自然界における物質現象および生命現象の本性や法則を究明する学問の総称。人間の精神文化や社会現象を探求の対象とする人文科学・社会科学と区別する意味では自然科学といわれるが,技術に対比して単に科学と呼ばれることも多い。しかしヨーロッパにおいても,科学という用語が一般に使われるようになるのは,19世紀になってからである。ここに至るまで,各学問分野およびその名称の歴史的変遷があった。

【古代ギリシア】すでに幾何学・数論を中心に数学が成立し,これを応用した学問分野として天文学・機械学などの成果があげられていたが,これらの学問は,この時代に最高のものと考えられていた哲学の補助学とみなされたにとどまる。医学や博物学の知識も集められはじめていたが,一つの学問分野としてまとまるには至っていなかった。したがって,それらの全体をまとめて自然科学と呼ぶような状況にはなっていない。

【中世―キリスト教時代】教会を中心に神学が圧倒的優位を保っていたあいだ,ほかの学問分野が発達する余地はなかった。ギリシアの学問の伝統もヨーロッパでは断絶し,むしろイスラーム圏のアラビア地域に受け継がれ,その文化的影響のもとで保持された。14世紀にルネサンスが始まると,ようやくギリシアの学問も再興されるようになり,それが近代の新学問を形成させる契機となった。

【近代ヨーロッパ】ニュートンI.(1642〜1727)が天体および地上物体の運動を首尾一貫して論じる学問分野を確立した。現在からみればこれは力学に他ならないが,ニュートン自身はこれを自然哲学と呼んだ。この哲学ということばには,一方でギリシア以来の学問的伝統の継承がうかがえるが,他方でそれを“自然に関する哲学”と限定しているところに学問としての新しさが明示されている。ニュートン物体の運動法則を確立したが,これを自然界の根本原理として提示したのであり,その哲学的構想は中世のような神学に依存する形をはっきりと打破するものであった。彼の学問的構想は,[1]物質が微粒子から成ること,[2]微粒子間に引力・凝集力・親和力などの種々の力が働くこと,この二つの仮説をおくことで,自然界のあらゆる現象が説明できるとする見通しに立っていた。しかもその議論の進め方は,厳密な数学的論証と正確な実験的計量を支えとするまったく新しい方法にもとづいていた。こうした学問的思潮は,ひとりニュートンのみでなく,ガリレオ(1564〜1642),デカルト(1596〜1650)ら17世紀の学者たちの多くが,それぞれに唱えたものである。それゆえ17世紀の自然哲学は,のちに自然科学と呼ばれるに至る学問的構想の最初の提言であった。その意味もこめて一般には,自然哲学の開拓を“近代科学の成立”ということばで表す場合も多い。

【産業革命期】18世紀半ばにイギリスで始まった産業革命への動きは,まもなくヨーロッパへ,さらに全世界へと伝わり,社会状況を大きく変えるとともに,学問のあり方をも著しく変化させた。織物業を皮切りに,鉄鋼業・化学工業・機械工業などすべてが大工場による大量生産方式をとるようになると,さまざまな機械の発明が要望され,また物質現象に関する詳細な知識への需要も急激に高まった。ここではもはや,職人技術と学問的知識とがそれぞれ別個に存在するだけではすまされなくなる。この時代の代表的な機械といえる蒸気機関の発明経過にも見られるように,機械工・設計技師・物理学者の長期にわたる緊密な協力がぜひ必要となっていた。こうした成行きのなかで,厳密な学問的知識に支えられた技術と,技術の提起した問題の理論的解明をなし得る科学との相互依存関係が一般化することになり,その両者がそれぞれに技術と科学と呼び習わされるようになった。科学ということばが広く使われるとともに,自然哲学という用語は使用されなくなった。それは同時に科学と哲学との関係がうすれ,技術との関係ばかりを強めていく推移の開始とも重なり合っていた。

【学問の専門分化】19世紀に入るとさまざまな学問分野が専門分化し,それぞれ自立し,それら各分野を総称するためにも,科学という用語はぜひ必要であった。[1]物理学―すでに力学は18世紀末までに理論的整備も終わっていたが,19世紀には流体・熱・光・電気・磁気などの物質現象が詳細に究明され始めた。いずれも最初は力学の応用から始まったが,熱学・電磁気学のように,力学の理論的枠組みをはみだす形で学問的確立が完結したことは見逃せない。いずれ統計力学や相対性理論の確立へと進展し,現代につながる理論的多様化のきざしがすでに見られるからである。もともと物理学という呼称は,むしろこうした専門分化が進むにつれ,各分野を一括する用語として普及したものである。[2]化学―18世紀末に元素が発見され化学反応が定量的に研究できるようになり,それが化学の急速な発達を促した。19世紀には,無機化学・有機化学が自立し,化学物質の詳細な研究が進展した。[3]生物学―18世紀には分類学の自立を見たにとどまったが,19世紀に入ると顕微鏡の性能が増進したことにより細胞が発見され,生物現象の精密な実験研究が活発化した。発生学・生理学・生化学などの自立が見られる。さらに進化・遺伝の究明が進み,農学・医学との関係も深まり,生物学にも科学と技術の相関性が表面化し始めた。こうして19世紀末には,物理学・化学・生物学いずれも豊富な専門学的知識を蓄積するに至り,その全体が文字どおり自然科学と呼ばれるにふさわしい状況となった。

【日本における自然科学】自然科学はヨーロッパから伝えられた。したがってそれは,日本人が消化し得た度合いに応じて,しだいに定着する経過をたどった。江戸期では鎖国政策のため,オランダからわずかに流入した知識に限られ,医学を中心とするそれらの知識は一括して蘭学・洋学と呼ばれた。明治期になり富国強兵・殖産興業策にもとづいて,実用的見地から科学・技術が積極的に導入され始めた。すでに西欧では産業革命期をへて学問の専門分化が進展していたので,日本ではそれぞれの分野を一科一学,あるいはひとまとめに百科之学と呼んで受容につとめた。他方では,西欧科学の実用性が強調されて,実現・実学と呼ばれることも多かった。科学という用語が定着するのは大正期に入ってからで,このころには日本の工業化も進み産業技術の基礎知識としての科学への認識も明確になっていた。また科学に対する哲学の学問的役割も問われるようになり,ようやく日本にも哲学・科学・技術という三つの大きな柱を基礎にした西欧科学の受け取り方が成立することになった。

【現代の状況】科学は20世紀に入り急激な発達をとげた。19世紀末までに成立していた近代科学に対比し,あらためて現代科学といわれ,さらには科学技術という用語も広く使われるようになった。自然科学という用語ではすでに覆いきれないような新しい学問的状況に入ったともいえる。一つには科学と技術との相互依存の関係がますます強化され,核兵器・原子炉・宇宙衛星・電子計算機などに見られるような巨大なものになったことが指摘される。その背景には,まず数学・物理学・化学が現代的変革をとげ,量子物理学を軸にした広い意味での物質科学へ包括されたことがあげられる。原子の変換・新物質の合成を容易に実現し,それが地球の汚染・荒廃・破壊までを誘う勢いを見せていることは,社会における科学技術のあり方を問い直さなければならない事態を招いている。次には通信工学・電子工学の急速な発達により,マイクロ=コンピュータが開発され,情報の伝達・処理を社会的規模で一変させてしまった事実がある。これは数理科学あるいは情報科学と呼ばれる学問の新分野を開拓することになった。最後に生物学が分子生物学へと進展したことが注目される。このため遺伝情報の人工操作も可能になり,医学・農学などの技術分野を含めた広大な生命科学の新しい開拓が展望されている。