●死者の書 ししゃのしょ
アフリカ エジプト・アラブ共和国 AD
古代エジプトの宗教における冥界への案内書。葬礼文書の一つ。第18王朝(前1567〜前1304)にほぼ成立した。エジプト語でペリ=エム=ヘレウ日々の出現という。死者が冥界において,加害者,悪魔,第2の死などにあわないようこれらを回避して,死者の審判を受ける際に無罪になるための呪文の集成である。『死者の書』は,実際には1冊の本にまとめられているわけでなく,いろいろな呪文の書から死者に適したものが選ばれ,パピルス紙に書かれ棺に納められた。なかには墓の壁面に刻まれたものもある。『死者の書』はそれぞれ呪文の順や選文が違い,一定していない。しかし次の3点に大きく分類することができる。第1にコッフィン=テキストと共通の部分を有する中王国編版。コッフィン=テキストとは『死者の書』よりも古い第9王朝時代以後の中王国時代にみられる葬礼文で,第11王朝の時に最も普及した。死者の死後の世界におけるさまざまな危険を回避し,その永世を呪術によって保証しようという目的で,ミイラを安置した細長い棺の内側に書かれたものの集大成。コッフィン=テキストより古いものとして,第3王朝から古王国時代にかけて墓室の壁にしるされたピラミッド=テキストがある。第18〜20王朝のパピルスにみられる新王国編版,第21王朝以降にみられ,とくに第26王朝のころに追加が著しい末期王朝編版『死者の書』は,第21王朝までは一般に略体ヒエログリフという聖刻文字で,それ以降はヒエログリフより派生したヒエラティックが,その後はデモティックも使用された。エジプト人は,人間の生命が永遠であり,その霊魂は不滅であると信じていた。そして死によって霊魂はいったん肉体を離れるが,いつか再び必ず自分の肉体に戻ってくるという再生の思想があり,それが幽界をめぐるオリクス信仰と結びつき,肉体をそのまま保存することが強く望まれるようになった。エジプトは熱い乾燥地帯であるため,人間の死体の保存は容易であった。第3王朝の末からファラオや貴族のあいだで,遺体をミイラにする風習が生まれた。新王国時代になるとミイラのつくり方は精巧となり,護符とともにパピルス紙の『死者の書』が棺に入れられるようになった。エジプト人は死後の世界について,人間は死後冥界の王であり,復活の神であるオシリスの審判を受けねばならないと考えられていた。その審判の場で,42人の神にそれぞれ罪の「否定告白」を行い,正義の秤にかけられる。そこで無罪が認められると永遠に幸福な生活を約束されるのである。死者がその生活を送ることができるように,仮の現世から永遠の真の彼岸の世界に安住するのに必要な方法や,彼岸に入った死者を脅かすといわれるものから,逃れるための呪文や誓約文をしたためた,いわば死者にとっての教書的な役割として『死者の書』は副葬されたのである。テーベで出土した前1300年ごろの『死者の書』には,中央に金狼の姿をした神アヌビスが,死者の心臓と真理を表す羽根を天秤に乗せて計量し,天秤の中央には猿の姿をした智恵の神トトが座って公平をはかり,右にイビスの姿をしたトウト神が報告を記録している図があり,左の裁判官に死者のアニと妻のトトウがいて,計量の結果無罪であればアニは鷹の神ホルスに導かれてオシリスの前に行き,安住の地の扉が開かれると記されている。『死者の書』は学者が仮につけた名称で,現在は学術研究上,章だての番号が用いられている。これは1842年K. K. レプシウスが編集したものである。そのうちとくに重要とされているのは,第6章の〈ウシャブティの呪文〉,第15章の〈太陽讃歌〉,第30章の〈死者の心臓のはらい〉,第77・88章の〈死後の世界の楽園イアルの野の状態〉,第125章の〈死者の審判・否定の告白〉で,190章が集成されている。