●仕事着 しごとぎ
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仕事をするときに着用する衣服で,作業形態によってそれぞれに適した仕事着がある。時代による変遷もみられ,鎌倉・室町・桃山時代の職人尽絵や屏風絵にも描かれているが,直垂(ひたたれ)や狩衣(かりぎぬ),庶民の筒袖の小袖,四幅袴,立付(たつつけ),軽杉(かるさん)などから,江戸時代には土農工商の身分制度が確立し,農山漁民の仕事着や,職人の印半纏,腹掛け,股引ができた。これらは現在でも一部の地方や職人のあいだに使用されている。仕事着は身体を使って労働するときの衣服であるから,形態上からは機能的で働きやすく,着脱が便利であること。材質上では耐久性があり,洗濯や補修も簡単,軽量でかつ衛生上からも汗などを吸水吸湿し,放湿性もあること。装身上ではとくに装飾は必要とはしないが,外観上みすぼらしくなく美的で,着用したときに快適で仕事への意欲と喜びにつながるものであることが望ましい。【在来型の仕事着】日本在来のものとして,農山漁村や商家の仕事着(働き着)がある。農村の仕事着をとくに野良着と呼ぶ。これらには地域による特色があり,長いあいだ女性の手づくりとして,母から娘,娘からまたその子へと伝えられてきた。各地に残存している野良着のなかには,仕事者としての要件を満たしているものが少なくない。日本は南北に細長く,気温に差もあるところから,形態も異なる。南には1部式,北には2部式が多い。1部氏は丈がすね位で男は股引,女は腰巻に脚半を付け,袖が元禄の場合は襷を掛ける。2部氏では上衣が腰丈までの短衣で筒袖やもじり袖,下衣は股引・山袴・立付などである。男女の差はあまりないが,女子は前垂をする。材質は古くは藤・科・葛・麻など,木綿が入ってからは絣や縞木綿でつくった。東北地方は寒冷地のため木綿が育たないこと,農民は藩政時代の衣服令で新木綿の使用が禁じられていたことなどから,古木綿を接ぎ合わせてつくった。これに被りものとして手拭い・ふろしき・笠など,手には腕貫や手甲,足に脚半・わらじ・足手(あしなか)などを履いた。冬季には綿入れのハッピを重ね着した。また風雨,雪よけにはみのやけら,足にはわらぐつを履いた。白河女,大原女,茶摘み風俗などは1部氏の美しい女子の仕事着である。また北の2部氏も細部に工夫が見られ,岩手県雫石町に残存している雫石あねこの風俗は,紺絣,紺の麻股引に色彩豊富な付属品が付いて,機能的でもあり,大原女の風俗にも劣らない農村の仕事着である。山の仕事着も農村のものとあまり違わないが,足には必ず脛巾(はばき)を付ける。背には道具入れを背負う。冬山の仕事には雪国では綿入れの上衣に乗馬ズボン,頭に目出し帽やまんじゅう笠,手には綿入れの厚い刺し子手袋をする。防寒のためばかりでなく,綱を引いたり,鋸を引いたりするからである。足も刺し子足袋にわらぐつを履き,かんじきを付ける。特殊な服装としては,マタギの装束がある。漁師の浜での仕事者もある。現在はゴム製の衣服があるが,古くは布製で,海水にも濡れないように布を重ねて刺し子にした。丹念に刺した衣服は,消防服同様で少々の雨や海水をかぶってもなかまで浸透しない。冬の海上の寒さは格別で,北の海では綿入れの剣し不着や綿入れ刺し子手袋,刺し子足袋,わらぐつを履く。また腰みのを巻いて海水よけにする。腰みのは海草でもつくった。雨や雪には笠やみのを用いた。刺し子着も漁油がしみ込んで結構防水の効果があった。特殊なものとしては海女の服装がある。
【現代の仕事着】在来の仕事着は昭和20年代までは各地にもみられ,田植えどきなどは地方色のある風物詩でもあった。しかし高度経済成長による職業の多様化,農業の機械化,仕事着の大量生産による既製服時代を迎え,各種の仕事着も昭和30年代ころから画一化された。ほとんどが新しい繊維を用いた洋服型になり,企業においてもユニフォームとして支給されるようになった。国内外ともに機能性,ファッション性が高められ,仕事着を着用することによって一層意欲的になり,仕事の能率も高められるように研究されている。
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