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●四国連合艦隊下関砲撃事件 しこくれんごうかんたいしものせきほうげきじけん

ヨーロッパ フランス共和国 AD1864 第二帝政

 1864年(元治1)8月,イギリス・フランス・アメリカ・オランダ四国連合艦隊が長州藩の下関砲台を砲撃・占領した事件。これは前年の1863年(文久3)5月10日,以来長州藩が関門海峡を通過する外国艦船を砲撃したことに対する報復であって,17隻の連合艦隊が8月5日より海峡沿いの長州藩の各砲台を攻撃,7日にはすべて陥落させた。14日に講和条約が締結され,外国船の海峡通航の保証,砲台の新築・修理の禁止,償金の支払いが確約された。しかし償金の支払いは幕府の負担となったが300万ドルという巨額のため支払いが難航し,半額は明治維新後にもち越された。長州藩はこの敗北によって洋式軍備の必要を悟り,攘夷論を掲げながら実質的に開国論へ転換し,イギリスに接近していった。

〔参考文献〕石井孝『明治維新の国際的環境』1957,増訂版1966,吉川弘文館