●死海写本 しかいしゃほん
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1947年に,死海北西部のクムラン付近で,迷った山羊を追いかけていたベドゥインの1少年によって発見された巻物。そのとき,発見された巻物が『旧約聖書』の写本の断片であったため,「死海写本」と呼ばれているが,その後,死海近辺のさまざまの場所から,さまざまの文書が発見され,現在ではそれらを総称して「死海文書」と呼んでいる。死海文書には,「エステル記」を除く『旧約聖書』の諸文書の完全な,または不完全な写本群,『旧約聖書』諸文書の注解書,『旧約聖書』の外典・偽典,教団の宗規要覧,光の子と闇の子の戦いなど,おびただしい数の文書が含まれている。これらの文書は,紀元前1世紀ころ,クムラン付近にある数多くの洞窟で禁欲的な集団生活をしていた宗団のものと考えられており,学者はこの宗団を,ユダヤ教エッセネ派の〈クムラン教団〉と同定している。エッセネ派は〈義の教師〉と呼ばれる教師を中心として,荒野において厳しい禁欲的生活を営みつつ終末を待望していた宗団であり,これに加わる者には洗礼を施していた。『新約聖書』に登場するバプテスマのヨハネは,この宗団と関わりをもっていたと推察される。現存する最古の完全な『旧約聖書』の写本は1008年の「レニングラード写本」であり,この写本の正確さについて,かねてより問題視されていたが,死海写本との比較研究により,母音の使用法を除いてほとんど一致することが明らかとなり,このことからオリジナルな『旧約聖書』本文とも一致するであろうと推測されている。そのほか,「死海文書」の貢献は,『旧約聖書』と『新約聖書』の間の時代(中間時代)のユダヤ教エッセネ派の戒律や生活習慣および思想などを明らかにしたこと,初代キリスト教会の制度や『新約聖書』の思想の研究のために多大な資料を提供したことなどが挙げられる。