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●士禍 しか

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 李朝前期に朝臣および学派の勢力争いで両班が禍を蒙った事件。戊午・甲予・己卯・乙巳の4士禍がある。成宗時に士林派(世祖時まで野にあった慶尚道地方の両班)が登用されてから勲旧派(世祖即位時に功臣になり高官を独占した1派)との対立が尖鋭化した。1498年(燕山君4)に戊午士禍が生起。これは勲旧派が史草(実録の草本)を口実に士林派の官人を大挙追放した事件。次に燕山君が生母尹氏の廃黜賜死事件を理由に士林の残存勢力と勲旧派を粛清したのが1504年(燕山君10)の甲子士禍。中宗が士林派少壮学者を多く登用して彼らの勢力を増大させた結果,既成勢力が反発を強め,1519年(中宗14)に士林派官僚を除去させた。これが巳卯士禍である。中宗の腹ちがいの2王子の王位継承をめぐる外戚の争いに官僚も加担,のちに即位した王子の外戚が執権して反対派を処断した。これが1545年(明宗即位)の乙巳士禍である。

〔参考文献〕瀬野馬熊『燕山朝の二大※注1※獄』青丘学叢3,1931

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