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●シヴァージー

AD1627 

 1627〜80 デカンのマラータ王国の創始者。父はビージャープル王国に仕えていた役人であった。彼はプーナで生まれ,若いころヒンドゥー聖者から教育を受け,やがて,西ガーツ山脈とインド半島西海岸山脈のあいだの,南北の細長い一帯であるコンカン地方に拠点をつくり,事実上,ビージャープル王国の支配から自立するようすをみせ始めた。1659年,ビージャープルの軍ガシヴァージーを倒すために送られたが,逆にシヴァージーの軍はこれを破り,以後,シヴァージーは,ビージァープル王国にあって独立的な存在となった。シヴァージーの勢力の発展は,アウラングゼーブのデカン政策にとって重大な障害になるとみなされるまでになった。1660年,アウラングゼーブは,母方のおじであるシャイスタ=ハーンを総司令官として,ムガルの大軍を送り,シヴァージー側の各拠点を一つ一つつぶし,中心地のプーナを占領した。シヴァージー側は1664年,スーラトを襲撃したりして反撃したが,1665年,ムガル軍司令官ジャイ=シングとのあいだにプランダー条約を結び,各地の砦を放棄して,シヴァージー自らもアグラに行くことを条件に,和睦した。シヴァージーは,翌年,ひそかにアグラを脱出して,自らの故郷にもどり,再起をはかった。そののちは,ムガル軍の追撃にもかかわらず,自らの支配領域をひろげ,1674年,自ら王位につき,マラータ王国を創始した。彼の死後,息子のサムハージーが継ぎ,アウラングゼーブの統治の後半のデカン政策は,マラータ対策がそのほとんどを占めるにいたった。シヴァージーの勢力の拡大の大きな原因は,彼を支えるマラータ=カーストのものが,ムスリム支配のもとで早くから軍事的・行政的訓練を積んでいたことによる。山地に砦を築いて機動力に富んだ彼らの戦術は,ゲリラ戦を行うのに有利であり,大平原で戦うのに慣れた重装備のムガル軍団は,彼らを完全に抑えることはできなかった。そのうえコンカン地方,西ガーツ山脈,それにつづくデカン高原の地主・領主層がマラータを支援した。